私のワークライフバランス
目の前のことを粛々と

稲葉 美里(いなば みさと)
Profile─稲葉 美里
博士(文学)。専門は社会心理学。2025年より現職。筆頭論文にThe effect of commitment in the public goods game with endogenous institution formation. Annals of Public and Cooperative Economics. 2024. https://doi.org/10.1111/apce.12424
遠方の夫との別居や働きながらの育児に向き合いつつ,研究と適度な距離を保ちながら歩まれた稲葉美里先生。目の前のことを粛々と重ねるという姿勢が,ライフとワークのあり方に示唆を与えてくれます。
ワークライフのライフはほとんどない状態で博士課程を終えました。子どもがほしいという気持ちがかすかにあった程度で,あまり考えていなかった気がします。かといって研究や就職のことで切迫していたわけでもなく,やるべきことを淡々とこなしていた日々でした。
それから10年経たない現在,4人家族で,自分も夫も常勤で大学教員をしており,3歳と1歳の男の子がいます。ライフもワークも充実して見え,われながら驚きです。
ライフのスタートは,関西でのポスドク2年目の時,マッチングアプリで婚活を始めたことで,動き始めると次第に「自分の人生には子どもがいてほしい」と思い,そのためにはのんびりしている時間はないと覚悟が決まりました。婚活開始翌年には結婚し,ほぼ同時に私も夫も常勤職につき,夫は遠方だったので別居婚となりました。別居,遠方の実家,授業やゼミ生の指導,もちろん研究も。子どもを持つにはハードルだらけでした。
特に困ったのは「ゼミ生どうする問題」です。1人目の時は春に1か月ほどで卒論テーマを割り振り,半年ほどの休みを挟んで冬の始まりから週4コマぐらい詰めこんで乗りきりました。2人目の時は,どうやらゼミを非常勤の先生にお願いする例がわりとあるようだと知り,前期の2か月くらいでデータ収集まで終わらせ,後期は非常勤の先生に分析から執筆の指導をお願いしました。振り返ると,妊娠初期,流産の可能性が高いうちは人に話しづらくなるので,妊娠前にもっと対面で情報収集をしておけばよかったと思います。
非常勤の先生にお任せすると言っても,相手を見つけるのは非常に難しいものです。私の場合は関西でのポスドク時代にできたご縁に救われましたが,いきなり地方で就職した場合はさらに難しいのではないでしょうか。職場にも恵まれており,さまざまな対応策を一緒に考えていただけました。また,夫も2回育休をとり(それぞれの子の時に8か月,4か月程度),その間家族で過ごせ,早めの復帰や生活環境の整備もできました。
職場の環境の良さは別居婚の中でも2人目の子どもを持つ決め手になりました。また,育児制度も常識も数年スパンで変化する中,第1子の経験を生かせるうちに,という思いもありました。幸い第2子の育休復帰と同時に別居婚が終わりましたが,ワンオペのままだったら,1年もったか怪しいところでした。
研究面では,科研費には中断・延長・留保などがあり,いったん休むための制度は充実していました。キャリアの初期であれば「休まず続けたい」と思ったかもしれませんが,私の場合は,妊娠中は授業で精一杯,生まれた後は育児に集中で,産休や育休中に研究を続けたいという気持ちはありませんでした。
今,研究に使える時間は4分の1ぐらいに減った気がしますが,そもそも1年に1本論文があるかどうかみたいな人間が数年休んだとて,他者から見たら誤差だと気づいて,そのことでストレスを感じることはなくなりました。もちろん「もう終わったわ」みたいな絶望的な日もあるので,子育てと仕事の両立は大変じゃないとか思われるのは違うのですが。ただ目の前のことを粛々とこなすのが好きな性格が幸いし,できる範囲で研究し,子どもとの日々も楽しく過ごしています。結局,ワークライフバランスをとろうなどとは考えていなかった自分の延長線上にいるだけのような気もします。
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