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旧車に乗るということは

岡 耕平(滋慶医療科学大学大学院医療管理学研究科 教授)
Profile─岡 耕平
博士(人間科学)。専門は認知心理学,特別支援教育学。著作に『発達障害の心理学 増補改訂版』(分担執筆,福村出版),『月刊実践みんなの特別支援教育』連載「みたてラボ」など。
以前にも心理学ライフの記事を書いたことがあるのに,また依頼をいただくとは……。と思い,調べてみたら以前書いたのは2013年(61号)でした。時の経つのは早いものです。そのときは子育てについて書いており,内容を要約すると「みんな優しい声をかけてくれるけど,実質的に手伝ってくれる人はいねえ」という恨み節をオブラートに包んだような内容でした。今回はそんな話ではなく,私が旧車に乗る理由について書きたいと思います。
うちは子どもが3人います。次男三男が双子で,長男と2歳しか離れてないものですから,幼い頃は大変でした。チャイルドシートを3台乗せられる車を,ということでステーションワゴンで,当時一番コスパが良いものを買いました。期待に応えてくれた良い車でしたが,欲しい車ではないものを買ったという気持ちが残りました。乗りたい車に乗りたい……と,「うまいもんはうまい」みたいな気持ちがずっとありました。
子どもが大きくなり,いよいよ車を乗り換えるか,というときに「我を通すならこのタイミングだ!」と思い,以前から憧れていた中古車,というか旧車に乗り換えることにしたのです。家族の反対は多少ありました。が,うちの妻も「今度買う私の車,オレンジとサテンホワイトのどっちが良いと思う?」と私に助言を求めてきたのに,私が「オレンジやな」と言ったらサテンホワイトを買った,というくらいの我を通す人なので,私も我を通させていただくことにしました。
購入したのは1995年製のメルセデス・ベンツ,S124というステーションワゴンです。結局ステーションワゴンなんかい!というお叱りは甘んじて受けます。S124はベンツ社が儲け度外視の「最善か,無か」というポリシーで作っていた時代の最後の車です。人間工学の粋のような様々な工夫がたくさん見られ,研究者としての所有欲も満たしてくれます。なお,一応旧車ですが,1995年製というのは旧車界の最若手であり,ネオクラシックと呼ばれる界隈のものです。ちなみに,私はいま47歳で,老人界の若手として,同じネオクラシックとしてのシンパシーをこの車に持っています。
旧車に乗るためにはひとつの大きな壁があり,これを越えられない人は直ぐに新車に戻っていきます。それは「いつもどこかが壊れている,という状態に対する耐性」を獲得できるかどうか,です。例えば,私の車はいつも少しずつオイルが漏れています。最初のうちは「どうやったらオイル漏れを直せるのか。いくらかかるのか」とずっと不安でした。それがダメな思考なのです。「半分水の入ったコップ」を見て,あと半分しかないと思うか,まだ半分あると思うかといったような話です。オイルが漏れるのはオイルがちゃんと入っているからなのです。オイルが漏れているうちはOK! このマインドが大切です。旧車に乗る,ということは,自身の持つ「あたりまえ」の見直しであり,あたりまえの閾値が大幅に下がることで,見える世界が変わります。世の中のいろんなあたりまえに感謝の念すら湧いてきます。
そんな私も,車から降りたときに右のウインカーがなくなっていたときにはさすがに焦りました。ウインカーがあるべき場所に何もなく,ただ空間がそこにありました。空が在る。悟りの境地に近いかもしれません。皆さんはウインカーがどこかに飛んでいってなくなる経験をしたことがありますか? いままで経験しなかったことを経験できる。それが旧車ライフです。
旧車に乗ると,五感をフル活用した運転ができます。異音,異臭,いつもと違うエンジンの振動,いろんなサインを常に意識しながら運転することになります。これこそが運転。自動運転の対極です。不調になるたびに原因を推測し,メカニズムを踏まえて実験し,問題の原因を特定し,メンテナンスをする。そう,これは心理学と同じです。旧車に乗るということは心理学ライフなのです。
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