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巻頭言

新しい発見のはじまり

マッギル大学理学部心理学科 名誉教授/ビクトリア大学社会科学部心理学科adjunct professor
大嶋百合子(おおしま ゆりこ)

本当の意味で研究の面白さを知ったのは,マッギル大学で英語の人称代名詞の獲得の研究をしてからだ。指導教官だったマクナマラ教授のNames for thingsという本の人称代名詞の章の最初のドラフト(草稿)を読み,院生として初めてのセミナーでプレゼンテーションをしたのがはじまりである。人称代名詞「I」と「you」の意味の獲得が固有名詞や普通名詞とちがうところは,指示する人が話し手か聞き手かで変わる点で,子供に話しかけられた発話では「you」は子供を指し,「I」は話し手を指すのに,子供が話すときは自分を「I」で,聞き手を「you」と発話しなければならないからである。この学習過程については,いろいろな説があったが,当時の言語獲得研究では,子供は自分に話しかけられたことばから言語を獲得するというのが定説で,他者同士の会話が幼児の言語獲得の重要なインプットでないと考えられていたため,それまでに蓄積されていたデータは子供に向けた発話や質問に限られていた。マクナマラ教授のドラフトにも子供が他者の会話に注目するとは考えられないので,そこから学習するということは難しいと書かれていた。しかし,論理的に考えてそれ以外の仕方で人称代名詞の意味ルールを学習できないと主張したところ,もしそのことをデータで示すことができればPhDがとれるといわれ,以後その証拠を出すための実験的研究に取り組んだ。その後見せられたその章のドラフトには,まだ証拠はないが,他者の会話に子供が注目しそこから学習する可能性もあるかもしれないと書き換えられていた。しかし,わたしのPhD 論文を読むまで,わたしの考えを信用していなかったようだ。このような言語獲得研究界の状況ではこの研究成果を出版しようとしてもなかなか受け入れられず苦労したが,いくつかのジャーナルで出版されてから,他者同士の会話も言語獲得のインプットとして重視する研究も出てくるようになり,ジャーナルに出版することの重要性を身にしみて感じた。また,定説に合わないデータは新しい発見のはじまりであると確信するようになり,結果が定説に合わないときは,方法が間違っていなければ,データにある規則性をみつけ出し,新しい解釈を考えることにしている。ここで重要なのはデータの新しい解釈をサポートするような関連研究をできるだけ多く見つけて,論文のディスカッションに組み込むことにより,新しい解釈を独りよがりでない説得力のあるものにすることでないかと思う。

大嶋百合子

Profile─大嶋百合子
東京大学大学院教育学研究科教育心理学専攻博士課程修了。McGill大学大学院理学部心理学PhD。McGill大学医学部コミュニケーション・サイエンス&障害学科研究員,McGill大学理学部心理学科教授などを歴任。専門は言語発達心理学。共著論文に Birth order effects on early language development: Do secondborn children learn from overheard speech? Child Dev, 67, 621-634, 1996. Children's initial understanding of the related meanings of polysemous noun-verb pairs. Lang Learn Dev, 16, 244-269, 2020. ほか多数。

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