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文化のなかにおける個別の存在
朱 映菡(しゅ えいかん)
Profile─朱 映菡
2013年,同志社大学心理学部卒業。2018年,同志社大学大学院心理学研究科博士後期課程修了。同年より現職。専門は精神生理学,感情心理学。論文は「The initial emotional output cannot be modified: The premier expression(共著,The North American Journal of Psychology)など。
皆さんは「合宿」がお好きでしょうか? 日本の大学では学部の新入生を対象とした「新歓合宿」,指導教員とゼミの所属学生の「ゼミ合宿」,大学院の新入生による「研究室合宿」など,いろいろな合宿が自主的に行われています。毎年楽しみにしている,という方も大勢いらっしゃるでしょう。私は来日した10年前にはじめて「合宿」に参加したのですが,実は,そのときは戸惑いました。
もちろん,同じ集団に所属するメンバーの親睦を深めるという合宿の目的は理解しています。しかしながら,合宿が行われる環境には私にとって大変なじみがたいことがありました。それは大浴場でのシャワーと大部屋に泊まることです。そもそも中国の学校過程に,合宿という習慣はほとんどありません。合宿をよく行う「部活」や,大浴場がないことも関係するかもしれません。所属先の行事とはいえ,どうしてほぼ初対面の人と互いの裸を見せなければならないのだろう?……と私は,よく知らない人の隣に敷かれた布団の中で考えていました。
カルチャーショックという言葉があります。知らない文化の中へ入れば誰でも違いに驚き,少なからず混乱するでしょう。私も「日本の文化にびっくりした,ついていけない」と言ってしまえばそれまでです。
ただ,今もそうなのですが,私は人や習慣に対して感じた「違い」を文化に帰属する考え方に強い抵抗があります。そこでいろんな日本人に合宿について聞いてみたところ,単純に好きという人もいれば「合宿に参加すればみんなと一緒にやっていけるような気がする」という意見を持つ人も,生まれつきの日本人で「苦手,できれば行きたくない」と感じている人もいました。日本人のすべてが「合宿大好き」というわけでもなく,合宿という習慣にそれぞれの気持ちを感じて参加していることになります。
私は博士課程を通じて感情表出について研究していました。よく知られているように,私たちはその場にふさわしくない感情をおぼえると,その場にふさわしい別の感情を表出してそれを隠します。しかし隠す直前の非常に短い時間に,隠そうとしないときと同じ微細な表情変化が起こることが分かり,私はこれをpremier expressionと名づけて脳活動との関連などから検討していました。私がこのような現象を研究したのも,環境や文化を超えて個人に普遍的な感情を明らかにしたかったからかもしれません。
私たちは誰もが個人の意思と感情を持ち,個人が習慣や文化に対して抱く感情は本来個別のものですが,私たちがいずれかの社会に所属しなくてはならない以上,好き嫌いに関係なくその文化と接する必要があります。すると,本来は嫌いだったり,おかしいと感じる習慣にいやいや従うことや,自分にとって当然の習慣を相手に強要することが起きます。文化の存在の大きさから知らず知らずそうしてしまうのです。そこでは,「自分だって我慢しているのだから相手も我慢するべき」という理不尽な振る舞いさえ,当然のこととして起こります。そして自分本来の感情を抑制し,時として自分で認識できなくなってしまいます。
文化や習慣は,社会を構築する上で不可欠です。しかし,一人ひとりが生きる社会が成り立つために文化が必要なのであって,文化を成立させるために一人ひとりが文化や習慣に抑制されては矛盾してしまいます。留学により所属文化を変更しても,自らの本質が変更するとは限りません。変更できないからギャップに苦しむし,本質を知るために留学するのですから。
それは他者を知る上でも同じことが言えるでしょう。文化の存在を無視したり否定するのではなく,どんな文化の中にいても,文化が個人と別の存在であることを常に忘れず,目の前の人と接したいものです。そのために大切なのは,自分の感情や意志に主体的でいることではないでしょうか。
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