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【小特集】

自己開示のある日常

川浦康至
東京経済大学 名誉教授

川浦康至(かわうら やすゆき)

Profile─川浦康至
1951年,長野市生まれ。東京都立大学人文科学研究科博士課程修了(心理学専攻)。横浜市立大学教授,東京経済大学コミュニケーション学部教授を歴任。著書は『日記とはなにか』(共訳,誠信書房),『ウェブログの心理学』(共著,NTT出版)など。

秘密をつまむ

弱った。筆が進まない。執筆方針が定まらない。今回の依頼をもらって書いた原稿は数種類にのぼる。ずるずる,ここまで来てしまった。いま書いている,この文章が最終稿である。

ここに至るまでの原稿の冒頭を紹介しよう。

一つめは辞書の定義から入った。日本語の「秘密」と英語の「secret」は対応しているのか。英英辞典を見ると,secretには秘密と内緒の二つの意味がある。Googleで画像検索した結果も,これを再確認するものだった。前者ではマル秘やTOP SECRETといったスタンプ類が,後者では人差し指を唇の前に立てるしぐさや,耳元でささやく写真が上位にきていた。両者にはもちろん共通点もある。それは「人」だ。「秘密」には,隠して人に知らせないこと,またはその内容,とあり,secretには「known about by only a few people and kept hidden from others」とある。もし,この世に一人しかいなければ秘密は存在しない。

二つめはジョハリの窓。まず「本人が知っている自己」と「他者が知らない自己」の領域が「秘密」と呼ばれることにふれた。「本人が知らない自己」と「他者が知っている自己」からなる「盲点」領域は,自分だけが知らない自分の秘密であり,このほうが本人には重要かもしれない。三つめは消費される秘密。社会学者の藤竹暁が2004年に著した『都市は他人の秘密を消費する』を引き合いに,現代社会の病理をとりあげた。彼は,都市社会では人間同士の関係は希薄化し,「他人に〈かすかな嫌悪〉を覚えながら生活している。それはまた,他人の不幸への〈ひそかな喜び〉を生み出す」と言う。いまや,「インターネットは他人の秘密を消費する」と言うべきか。四つめではプライバシーに焦点を当てた。身体化された個人情報保護法が個人「的」情報のやりとりを困難にし,人びとがつながりにくくなっている可能性を指摘した。公開しないことも秘密の一種であり,秘密に占めるプライバシーの比重が高まっている。

秘密の日記から始めた原稿もある。例として,徳富蘆花の日記や石川啄木のローマ字日記を紹介した。彼らの日記を読んでいるうちに気分が沈み,同時に,原稿も沈没してしまった。これが五つめである。六つめになると,もはや原稿の体をなしていない。ジョン・ケージの「4分33秒」ならぬ「3400字」に着想が至った。3400字は原稿の規定量。私に当てられたページを白紙にし,読者はそれを前に自分の秘密に思いをはせるという趣向だ。けっきょく,どれもしっくり来ないまま,ボツ累累となった。筆者としては,これらを秘密の多面性ととらえていただければ,ありがたい。どうだろう。

秘密は秘密でいられない

ちょうど20年前の1997年8月。仲間と一緒にブロガー(ブログ作者)調査を行った。正確には,このころ日本ではまだブログサービスが始まっていないので,ウェブ日記あるいはオンライン日記の作者が調査対象者である。この研究結果は2編の論文(Japanese Psychological Researchと『社会心理学研究』)にまとめ,それらの集大成として,『ウェブログの心理学』を出版した。

インターネットという誰もが見られる場に,日記と呼ぶしかないような個人的,私的なことがらが書かれる。これはいったいどういうことなのだろう。ウェブ日記はその1年前からネット世界のブームだった。参加観察と言えばいいのだろうか。私も真似をしたくなり,その年の2月,日記もどきを自分のホームページで始めた。ウェブ日記をつけている人は身近にいなく,恐るおそるの出だしだった。他の人は,どんな気持ちで,どんな日記を書いているのだろう。ウェブ日記はふつうの日記とどう違うのか。紙の日記にあるような秘密や内緒ごとも書かれるのだろうか。個人的にも知りたかった。

当時の日本のインターネット個人普及率は9.2パーセント。ロジャースの『普及学入門』によれば,革新的採用者(イノベーター)は2.5パーセント,初期少数採用者は13.5パーセントである。9.2パーセントの分母は全人口なので,実質的には初期少数採用者までの層の人たちの世界だった。インターネットは研究者や技術者から利用が進んだので,ウェブ日記の書き手も大半は,そうした人たちだろう。

調査に先立って,私たちは日記の分類を試みた。それが表1である。「書き手の志向」と「日記の内容」を組み合わせ,4タイプが構成された。ウェブは基本的に,公開を前提としたシステムである。実際のウェブ日記も公開日記が大半にちがいない。そう予測していた。ところが,その見込みははずれた。回答を整理した結果は,どのタイプもほぼ同数だったのである。タイプで見るかぎり,ウェブ日記も日記と変わらない。ウェブ日記にも秘密や内緒ごとが書かれる可能性はある。

秘密とは相対的,文脈依存的である。当時,秘密ではないと思って書いたことでも,あとから秘密にしておけばよかったと思うこともあろう。つまり書かれたことの中に秘密が存在する可能性はあるし,逆もありうる。そもそも秘密には他者がかかわっている。だから,他人が,それを秘密と思わず,ツイッターに書いてしまうかもしれない。本人が書いていることの中に,他者からすると,その人の秘密に思えるようなことがらもあったりする。自分だけで秘密を管理するのは無理な話である。何を秘密とみなすかは,そのつど本人が判断するしかない。だが,その評価は絶対的なものではない。

表1 日記の4タイプ(山下ら, 2005を一部修正)
志向/内容 事実
instrumental
心情
emotional
自己志向
personal
備忘録
memorandum
日記
daiary
関係志向
social
日誌
log
公開日記
journal
図1 ブログでの自己開示と主観的幸福の構造モデル(Ko & Kuo, 2009) ***p < .001

ウェブ日記からブログへ

誰にも見せないと決めた日記でも,書かれる以上,読者はいる。未来の自分である。未来の自分はいまの自分とは別人物である。読まれる,読まれない,の差は,他者が読むか,未来の自分が読むか,といった問題にすぎない。そう考えると,日記はつねに読まれる存在である。

ふつうの日記とウェブ日記(ブログ)のちがいは,きょう書いたこと,いま書いたことが,きょう,いま読まれる点である。ウェブ日記を書く行為には,フィードバックが得られることで,自己開示と同様の効果が生まれる。ただでさえ,筆記による自己開示は,話すだけの場合よりも効果は高い。たとえば自分の感情を書いてみる。それだけで心身ともに健康になる,とペネベーカー(Pennebaker, 1997)は言う。人には書かないとわからないことがある。ウェブ日記では,その筆記効果に,フィードバック効果が加わり,それが日常になる。

ブログでの自己開示過程を検討した研究を一つ紹介しよう。台湾の研究者,コとクオ(Ko & Kuo, 2009)は,ブログの継続が主観的幸福に及ぼす影響を検討した。ブログを書く大学生596名の回答を分析した結果が図1である。ブログでの自己開示の深さは,認知される社会関係資本のレベルを高め,高レベルの社会関係資本は主観的幸福を高める。ブログを書くことが日常生活に組み込まれると,現実の人間関係が広がり,他者との関係構築や感情表出が進み,その結果,主観的幸福が高まると彼らは結論する。

秘密から少し遠ざかってしまった。秘密をそのままにしておくのがつらいときは,ブログも含め,少し自己開示してみたらどうだろう。ブログで他者の秘密を読んでみたらどうだろう。自分と似た人が見つかるはずだ。

文献

  • Ko, H. & Kuo, F.(2009) Can blogging enhance subjective well-being through self-disclosure. Cyberpsychology and Behavior, 12, 75-79.
  • Pennebaker, J. W.(1997)Opening up. Guilford.[余語真夫(監訳)(2000)『オープニングアップ』北大路書房]
  • 山下清美・川浦康至・川上善郎・三浦麻子(2005)『ウェブログの心理学』NTT出版

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