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【小特集】

テクノロジーの活用と学びやすさ・ 合理的配慮

近藤 武夫
東京大学先端科学技術研究センター 准教授

近藤 武夫(こんどう たけお)

Profile─近藤 武夫
2003年,広島大学大学院教育学研究科博士課程修了。2013年から現職。DO-IT Japanディレクター,米国ワシントン大学連携研究員。専門は特別支援教育,支援技術。著書は『学校でのICT利用による読み書き支援』(編著,金子書房)など。

テクノロジーの活用は,様々な障害のある人々の教育・日常生活・労働の環境を,より参加しやすくするための手段として用いられています。障害者の社会参加を保障することを目指したテクノロジー利用は,「支援技術(Assistive Technology)」と呼ばれます。1980年代に米国で生まれた用語で,支援技術利用を促進する法制度を背景に,様々な技術や製品の研究開発が行われてきています。ICT(Information and Communication Technology) だけではなく,義足や義手,自助具,車いすなども,広義の支援技術です。今回は,支援技術のうち,学習障害(lerning disability)のある児童生徒の修学支援に関する活用を例にとって紹介します。

例えば,特異的学習障害のうち,ディスグラフィア(書字障害)のある児童生徒では,鉛筆を使って文字を綴ることがほとんどできない場合があります。本人は,相手に伝えたいメッセージを頭の中で考えることができていたとしても,鉛筆を使ってそれを綴ることが極端に困難であるため,結果として,作文などの形で,効果的に自己表現することが難しいという結果になります。しかし「文字は鉛筆で綴るもの」という前提を変えれば,大きく状況が変わることがあります。書字障害のある児童生徒の中には,鉛筆では文字を綴ることがほとんどできなくても,キーボードで入力したり,しゃべったことがそのまま文字として入力される音声入力を使うと,非常に流ちょうに文章表現を行える人がいます。またそれだけではなく,そもそも指導の場面において,鉛筆では学習が成立してこなかった生徒が,キーボード入力や音声入力を使用することで「作文の書き方を学ぶ」という教育機会に,効果的に参加できるようになる場合があります。

同じように,ディスレクシア(読字障害)のある児童生徒では,耳で聞いて話の内容を理解することができても,印刷された文字を読むことが難しいために,授業の内容についていけない場合があります(視力に障害はないが,視覚認知や視覚的な文字を音韻や意味に変換する認知機能に機能的な制限があるため)。しかしこれも「教材は紙の印刷物である」という前提を変えると,状況が変わることがあります。教材の内容を電子 データとして用意することで,それをコンピューターの音声読み上げ機能を使って音声に変換して耳で聞いて読んだり,フォントの種類や文字の色,背景色を本人が読みやすいと感じるものに変更したり,文字の大きさを拡大したりといった変更調整が可能になるからです。また,これも上記の書字障害の例と同じように,そもそも通常の印刷物の教材では学ぶことができていなかった児童生徒に対して,ICTを活用して初めて,学ぶ 機会を保障できることがあります。 「A君は作文が稚拙で何度教えても向上しない」「Bさんは理解している語彙が少なく文章から意味を適切に読み取ることができない」……教師は懸命に指導しているのにどうしてなのか? と疑問に思っている方も多いのではないでしょうか。実はその背景に,紙と鉛筆の利用がその個人の知覚や認知の特性と合っておらず,本人にとってみれば「学習空白」と同じ状態になっているケースもあります。特に,中学年以上になっても一般的な読み書き訓練の指導に高価が見られない場合,並行して,ICTを使って教育機会を保障する取り組みも必要となります。

さて,国連障害者権利条約と障害者差別解消法により,2016年4月以降は制度的に「合理的配慮」がすべての学校で義務または努力義務として提供されることになりました。合理的配慮とは「思いやり」を意味する言葉ではありませんし,特別支援教育の何らかの手法を言い換えた言葉でもありません。教育について言えば,障害のある児童生徒が,他の生徒と平等な教育の機会に参加する権利を保障するために,他の生徒とは異な る取扱いを,合理的な範囲で認めることを意味します。

先ほどの「紙と鉛筆の利用」と合理的配慮の関係を考えてみましょう。他の多くの生徒にとっては,紙と鉛筆は学習を支える便利な道具です。しかし,一部の障害のある生徒で,障害の状況によっては,紙と鉛筆を利用してもその生徒の学習を支えることにならず,逆に,明らかに教育場面への参加を阻害することになっている場合があります。それでも他の生徒と同じように紙と鉛筆を使用することだけを強要すると,場合によっては,その生徒から教育機会を奪うことになることがあります。

もっと競争的な場面のことを考えるとわかりやすくなるかもしれません。先ほどの例に挙げた生徒が,入学試験を受験する場面を考えてみてください。ある生徒が,タブレットやパソコン等のICTを活用したり,代読や代筆が認められれば,内容を理解していることを示すことができるのに,紙と鉛筆の試験しか選択肢に存在していないとしたら,その生徒はそもそも力を持っていることを示すことができません。結果として,紙と鉛筆の試験しか存在しない入試の形式は,障害のある生徒の進学を,意図せず否定するものとなってしまいます。

そんなとき,障害のある生徒に,ICTの利用を認めるなど,他の生徒とは異なる個別の取り扱いを認めることで,その生徒が環境側の都合(紙と鉛筆という選択肢しかない)により,参加を阻まれている状況を変えられる場合があります。こうした変更・調整が「合理的配慮」と呼ばれるものです。もちろん,ケースによっては,合理的配慮として提供されない場合もあります。例えば,ある種の個別の変更・調整を行うと,ある場面 での本質的な教育の目的が失われてしまう場合や,そうした変更・調整を行うこと自体が,実施する学校側に甚大で莫大な負担を生じてしまう場合が当てはまります。しかし,そうでない限り(またはそうならないように),合理的配慮を提供することが,学校の義務または努力義務となっています。

図1 障害のある児童生徒・学生へのテクノロジー利用
図1 障害のある児童生徒・学生へのテクノロジー利用

障害者差別解消法によって,不当な差別的取扱いの禁止と合理的配慮の提供という形での権利保障の土台が作られました。それ以前は,こうした個別の異なる取扱いは,「教室で一人だけ特別は認めない」という一般的な慣習によって否定されることが多かったのですが,新しい制度が生まれたことで,通常の教室や受験の場面でも個別の取り扱いが認められるケースが少しずつ生まれています。

とはいえもちろん「ICTを生徒に渡せば/教室に放り込めば,すぐに魔法が起きる」という言説は大きな間違いです。やはり,日常の指導や学習の場面から,効果的にICTを使うことができて初めて,前述の学習障害の例のような学習空白を埋めることができるのです。つまり,他の生徒とは異なる学び方を必要としている生徒に,その生徒に合った学び方を提供しやすくする道具のひとつとして,タブレットやパソコン等のICTがあり,それが現在のところ,学校にとっても使いやすく役立てやすい選択肢になりつつある,と考えていただければと思います。

本稿では,学習障害にある読み書きの困難を例として挙げましたが,実際には図1のように,学習への参加を難しくする様々な困難と,参加を保障するテクノロジーの利用があります。「テクノロジーの利用だけが唯一の選択肢であり他は否定すべきもの」という誤解はあってはなりません。しかし,個々のケースに応じて,テクノロジーの利用が効果的かつ適切といえるかどうかを検討することは,障害のある児童生徒・学生の教育参加保障を考える上で,必ず考慮しなくてはならないことであると言えます。

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