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私の出前授業
落ち込み予防の心理学
伊藤 拓(いとう たく)
Profile─伊藤 拓
1994年,早稲田大学教育学部社会科社会科学専修卒業。1998年,中央大学文学部教育学科心理学コース卒業。2003年,早稲田大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了。安田女子大学専任講師,同准教授,明治学院大学准教授などを経て,2015年より現職。専門は臨床心理学。著書は『大学生における精神的不適応予防に関する研究』(共著,風間書房),『高校生に知ってほしい心理学:どう役立つ? どう活かせる?』(共編著,学文社)。
「気持ちが落ち込んだことがない人は?」と大学の授業で尋ねると,手を挙げる人はまずいません。次に,「気持ちが落ち込んだことがある人は?」と尋ねると,ほぼ全ての人が手を挙げます。このように気持ちの落ち込みは誰もが経験することです。ただし,気持ちの落ち込みが長く続き,重症化した病的な状態(以下,うつ状態とします)になることがあります。
それでは「どのようなことを行うと,うつ状態に陥りにくいでしょうか?」。この質問を模擬授業で高校生にすると,「友だちに話を聞いてもらう」「部活で体を動かす」「カラオケで発散する」などの回答が出ます。そのようなことを普段している人は,していない人に比べて,うつ状態に陥りにくいでしょう。
心理学の研究によって,うつ状態の予防に効果的な方法が見出されてきました。その方法が広まり,多くの人が実践したら,うつ状態になる人が減ります。このような社会的に重要で,私たちの人生・幸せにとって重要なことを研究対象にできるのが心理学の魅力だと思います。そこで,私は模擬授業でこのテーマをよく取り上げます。
生物的な要因,環境的要因,生育歴的要因,心理的要因など様々な要因によってうつ状態は引き起こされます。以下では心理的要因に絞って話を続けます。
うつ状態発症の心理学的モデル
心理学では,心理的なメカニズムを説明するためのモデルがよく作られます。まず,うつ状態の心理的要因の初期のモデル,ABCモデル(図1)を紹介します。このモデルでは,ストレスフルな出来事(A)が直接的に,うつ状態などのネガティブな感情(C)を引き起こすのではなく,その人の信念・認知(B:「考え方や考え」のことです)がネガティブな感情をもたらすと考えます。ポイントは,ストレスフルな出来事を経験しても,それに対する認知の仕方によっては,うつ状態に陥りにくくなることです。わかりやすいモデルですが,信念・認知から感情への流れが一方向的であること,認知と感情以外の要因が考慮されていないことなどの問題があります。このような問題や研究成果を踏まえ,モデルを改訂していきます。
現在は図2のモデルがよく用いられます(わかりやすくするため,簡略化しています)。このモデルでは,ストレスフルな出来事によって,認知,感情,行動,身体に悪循環のサイクルが生じることで,うつ状態が引き起こされると想定しています。「大事な試験の成績が悪かった」という出来事を経験し,「まずい,駄目だった」という認知が生じると,ゆううつな感情が生じ,考え込むことによって,ゆううつな感情とネガティブな認知が強まります。それが続くと,悪循環のサイクルが強まり,「もうおしまいだ」「駄目な人間だ」などと認知がよりネガティブにエスカレートしたり,身体症状が生じたりすることで,さらにゆううつ感情や焦りが強くなり,うつ状態が進展すると考えます。
両モデルとも「認知」(考え)が重要な位置を占めています。そこで,このモデルから言うと,ネガティブな考えとどのようにつき合うかが,うつ状態予防のポイントになります。
ネガティブな考えとどうつき合うか?
ネガティブな考えには色々な思考が含まれますが,ここではネガティブな「自動思考」に絞ってお話しします。自動思考とは,自分の意志に関係なく意識に上るネガティブに歪んだ考えのことです。これが,ゆううつ気分をもたらすと考えられています。その特徴は①自動的に生じるので,生じるのを止められない,②思考の内容が事実とは限らない,③人によっては自動思考に気づかない,などです。これらの特徴を踏まえ,ネガティブな考えとどのようにつき合うのが望ましいのでしょうか?
まず,図2のような,ネガティブな考えを考え続けるサイクルに気づけるようになることです。この際に重要なのは,ネガティブな考えが浮かぶこと自体は自然な反応ですので,それが浮かぶからといって「自分は悲観的で,駄目だ」などと捉えないことです。大切なのは,ネガティブな考えが生じた後,悪循環のサイクルを持続させないことです。
次に,ネガティブな考えが事実とは限らないことを認識し,ネガティブな考えから距離をとることです。図2にある「もう駄目だ」「駄目な人間だ」などは事実とは言えませんが,そのような考えが浮かぶと,まるで本当のことのように思えるのではないでしょうか。一歩距離を置きネガティブな考えを観察できるようになるのが良いとされています。
さらに,一人で考え続けないことです。そのためには,相談する,運動する,趣味の活動をするなどが有効です。これは,「行動」に働きかけ,悪循環サイクルを止めることに役立ちます。
最後に,より妥当で事実に即した考えを見つけることです。ただし,別の考えを見つける必要はないとする理論も力を持ってきています。
以上を体系的に練習する方法がすでに開発されています。ただし,これらを一人で行うのは特にうつ状態があるときなどには難しくなります。認知行動療法という心理療法では,これらをカウンセラー(臨床心理士,公認心理師)と一緒に行います。
さいごに
私は心理学を専門にして本当に良かったと思っています。多くの素晴らしい学びと発見があり,心理学を学ぶ前よりずっと幸せになったと思います。だから心理学の魅力を多くの人に知ってほしいと思っています。皆さんと共に心理学を学べることを楽しみにしています!
文献
- 伊藤絵美(2008)『事例で学ぶ認知行動療法』誠信書房
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