【第5回】
サトウ タツヤ
立命館大学総合心理学部教授。第5回目はパキスタン。第2回目に取り上げたインドの西の隣国です。インドと同じくイギリスの植民地支配下にありましたが,1947年に独立。英語で歴史を追えない国の心理学史を理解するのは難しく,今回は少し横道にそれた感じとなりました。
パキスタン
パキスタン。これは通称で,正式名はパキスタン・イスラム共和国。19世紀には英領インドとして現在のインドと同一の政府の下に置かれており,イギリスからの独立運動も本来は同一のものであった。最終的にはヒンドゥー教徒地域がインド,イスラム教徒地域がパキスタンとして分離独立した。
本誌84号の第2回で紹介したように,英領インドでは,1916年,カルカッタ大学で心理学の研究と教育が始まり,1924年にはインド心理学会が設立され,翌年,『インド心理学研究』が創刊された。インドがパキスタンやバングラデシュと共に植民地であった時代に,近代心理学の影響は既に現れていた。ただし,現在のパキスタンにあたる地域においては,イギリス統治時代に設立された大学はPunjub大学のみであった。この大学において心理学は哲学の一分科として研究され教育されていた。キュルペの『心理学概説』やマクドゥーガルの『心理学概説』が読まれており,精神分析学者・フロイトの本も親しまれていた。実験心理学の領域では,ティチナー,マイヤーズ,ホィップルなどの著者の本が読まれていた。最初の心理学者とされるのがMohammed Ajmal(1920-1994)である。イギリスのKings Collegeで博士号を取った彼のテーマは精神分析におけるフロイト派とユング派の比較である。近代心理学の影響が大きかったわけではないことがわかる。
パキスタンの教育制度は,小学5年間,中学5年間,高校2年間,カレッジ(短期大学)2年間,大学4年間である。これはイギリスの制度を取り入れたものであり,心理学を学ぶ機会は,11グレードつまり,高卒後のカレッジ進学以降は可能であった。実際,独立以前の時期までにラホールのGovernment CollegeやForeman Christian Collegeなどで心理学の教育が行われていた。後者において6年間教授を務めたアメリカ人・ライス(Charles Herbert Rice ;1884-1960)により,知能検査のインド・パキスタン・バングラデシュ版が作成され,1,000人以上のデータが収集されていた。
実用的な知能検査はフランスの心理学者ビネによって開発された(1905)。彼は,検査の項目に学校で習うことを含めると,学校に行っているかどうかが知能の測定に影響すると考えた。学校に行かない・行けない子どもたちの知能を不当に低く測定しないような工夫が必要だと考えたのである。そして,普通に暮らしていたら自然と身についている知識や考え方を知能検査の項目に組み込むことにした。ビネの試みは支持を得て,各国で翻案されることになった。その時,同じ項目を用いるということは決してなかった。なぜなら,「普通の暮らし」はその国々で異なるからである。このことは,各国版の知能検査には,そのときの「文化的常識」が保存されていることを意味しないだろうか?
図1は当時の英領インドで用いられていたEkkaという乗り物が描かれており,子どもたちはこの図を見てそこに何が描かれているのかを説明することが求められている。図2は,いささか強烈。井戸で水を汲んでいる女性たちの横で水タバコを楽しむ男性達。これを見て違和感を感じないのが当時の「文化的常識」なのであろうか。もちろん,これはパキスタンに限ったことではなくグローバルな常識だったことだろう。
なお,哲学から独立した形での心理学専攻の設立は1954年,カラチ(Karachi)大学にて実現した。次いでPunjub大学(1962),Pehawar大学(1964)にも設置された。1976年には国立の心理学研究所が設置された。つまり,パキスタンにおいて,いわゆる近代心理学が普及していくのは,第二次世界大戦後だったのである。
文献
- Rice, C. H.(1929) A Hindustani Binet-Performance Point Scale .Princeton univ press.
- Suhail, K.(2004)Psychology in Pakistan. The psychologist, 17 , 632-634.
PDFをダウンロード
1