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心理学史諸国探訪【第8回】

サトウ タツヤ
立命館大学総合心理学部教授。ブラジルは日本から見れば地球の裏側ですが,日本との関係は1895(明治28)年に外交関係が樹立されて以来常に友好的。日本からの移民が多く,一時は直行便が飛んでいたくらい特に関係が深い国です。公用語はポルトガル語で,心理学はpsicologia。

サトウ タツヤ

ブラジル

ブラジルでは,現在,心理学史への関心が高まっている。社会に心理学が根づいているからである。心理士という専門職は1962年に制度化され,2009年には275,669人にまで増加した。

ブラジルでは独立後(1822),各種の高等教育機関が整備され,まず医学校(メディカルスクール)において,心理学に関連するテーマが扱われ始めた(Cirino, 2010)。リオデジャネイロ医学校で,1836年に提出されたフィゲレイド(Manuel de Figueiredo)の博士論文は「魂の情熱と影響」というものであったし,バイーア医学校においては「人間についての心理生理学」という博士論文が提出された(1851)。

1889年に共和制が始まると教師養成校や精神科の施設に心理学が取り入れられた。アントゥネスというブラジルの心理学史家によるとブラジルの心理学は以下の三つの期間で進展したとされている(Camposら, 2010による)。

表 ブラジル心理学の時期区分
表 ブラジル心理学の時期区分

第一の時期,1890年には,政治家のコンスタント(Constant, B)が主導する教育改革で科学的視点を取り入れることとなり心理学もその一翼を担った(Cirino,2010)。そして,ヨーロッパ心理学の視察も行われた。メディロスは1903年にリオデジャネイロ大学を卒業後に医学を学ぶために欧州に派遣され,フランスのソルボンヌ医学校の心理学実験室を視察しデュマに出会う。同地でビネの心理学実験室も訪問した。帰国後に連邦区師範学校の心理学の教授となり,心理学実験室を設立。後,ブラジル大学医学部(現在のリオデジャネイロ連邦大学:UFRJ)では,精神分析を中心とした講座を開いた。

教員養成にとって心理学が重要だという認識も高まり,アルバカーキは1906年にリオデジャネイロの師範学校(教員養成校)に心理学実験室を設立した。1929年にはヘレナ・アンティポフによってミナスジェライス州に実験室が設置された。

ヘレナは現在のベラルーシの貴族の家に生まれたが,革命気運の高まりから家族がパリに移った。ソルボンヌ大学に通いジャネやベルクソンの心理学に触れ,卒業後はビネ亡き後のビネ研究所に所属して子どもの知能測定に関する研究を行った。その後,スイスでも学び1925年にドイツに亡命した後,1929年,ブラジル人教師を養成するための招請を受けた。

1932年,ヘレナは,多くの人と協力して,知的障害を持つ子供たちを指導し治療するためのペスタロッチ協会を設立した。また,「異常」のような蔑称となる言葉をやめるように提唱した。

1937年,教員養成校を退職した後,彼女は農村部で教育の機会を拡大するために尽力した。1952年にブラジル国籍を取得。ミナス・ジェライス連邦大学の哲学・人文科学部で教授(教育心理学)となった。そして心理学者の教育に貢献すると共に,専門職の法的整備の開始(1962)に貢献した。

文献

  • Sergio, C. (2010). Psychological science takes off in brazil. https://www.psychologicalscience.org/observer/psychological-science-takes-off-in-brazil
  • Campos, R. H. d. F., Jacó-Vilela, A. M., & Massimi, M. (2010). Historiography of psychology in Brazil: Pioneer works, recent developments. History of Psychology, 13, 250-276. https://doi.org/10.1037/a0020550

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