【特集】
動物への愛情が問題になるとき
─チンパンジーのエンタメ使用を考える
松阪崇久(まつさか たかひさ)
Profile─松阪崇久
2006年,京都大学大学院理学研究科博士課程修了。博士(理学)。(財)日本モンキーセンター特別研究員,関西大学助教などを経て現職。専門は比較発達心理学,霊長類学,保育学。主な著書にMahale Chimpanzees: 50 Years of Research(分担執筆,Cambridge University Press),『あなたと生きる発達心理学』『ワークで学ぶ発達と教育の心理学』(ともに分担執筆,ナカニシヤ出版)など。
はじめに
かわいい動物,美しい動物,奇妙な動物…。ヒトは様々な動物に魅力を感じ,時に愛情を抱く。飼育して深く関わることで動物との絆が形成されることもある。こういった動物との関わりはヒトに幸福感をもたらすが,ヒトが動物に愛情を感じることによって問題が生じる場合もある。たとえば,野生動物に対する「かわいい!飼いたい!」という気持ちが,その動物の密猟を引き起こす例がある。また,テレビや動物ショーなどの娯楽のために消費される動物の問題もある。本稿では,テレビで人気のチンパンジー・パンくんとその娘のプリンちゃんの問題に注目する。
パンくんとプリンちゃんは,日本テレビ「天才!志村どうぶつ園」に乳児の頃から出演している。また,飼育されている動物園(阿蘇カドリー・ドミニオン)では,毎日3回ある動物ショー「みやざわ劇場」にも出演している。父親のパンくんは既にテレビやショーへの出演を引退しているが,5歳になる娘のプリンちゃんは現在も出演を続けている。
エンタテインメントでチンパンジーを使用することに関して,全国の動物園関係者や類人猿研究者からなる団体「SAGA」(アフリカ・アジアに生きる大型類人猿を支援する集い)から,批判の声が繰り返しあげられている(SAGA, 2006, 2015, 2016など)。適切なケアが必要な幼少期に母親や仲間から引き離されることや,過度な擬人化によって絶滅危惧種であるチンパンジーの理解が妨げられることなどが問題とされてきた。本稿では,娯楽のために使用されるチンパンジーの具体的な姿に触れながら,動物を擬人化して感情移入することの何が問題かを考えたい。
パンくんの感情表出の分析からわかること
テレビや動物ショーでのパンくんの扱われ方について調べるため,筆者は,まだ乳児だったパンくんが出演している8本のDVDを分析した(松阪, 2018)。そのうち2本は「天才!志村どうぶつ園」のおつかいコーナーの映像で,パンくんがブルドッグのジェームズと共に様々な「おつかい」を課されるというものだ。残りの6本は,パンくんらが飼育されている動物園(カドリー・ドミニオン)の映像作品で,動物ショー「みやざわ劇場」の映像も含まれている。
これらの映像を用いて,パンくんの表情や発声といった感情表出について分析したところ,テレビのロケや動物ショーへの出演がパンくんにストレスを与えていたことがわかった。チンパンジーは仲間と遊ぶ時に笑顔を見せ,笑い声もあげるが(図1),テレビ用の「TV映像」や動物ショーの「Stage映像」ではパンくんの笑いはあまり見られず,恐怖や不安や不満をあらわす様子がしばしば見られた(図2)。動物園でリラックスして過ごすシーンでは笑いが見られることもあったが(その他映像),テレビのロケや動物ショーではネガティブな感情表出が多かったのだ。
とくにTV映像では,「おつかい」の過程でパンくんに試練を課し,わざわざ不安やストレスを与えるシーンもあった。たとえば,パンくんと犬のジェームズが「おつかい」の途中で,川の橋のない部分を1mほど跳んで渡らなければいけないという場面がある。パンくんはすぐに跳ぶことができず,前歯を露出させる表情をみせる(図3)。これはグリマスと呼ばれる表情で,パンくんが恐怖を感じていたことを示している。その後しばらくしてパンくんはなんとか跳んで渡ることができたが,相棒のジェームズは渡れず,川の流れを挟んで二頭が綱の引っ張り合いをする。このように,試練にさらされた動物たちがとまどう様子を見て楽しむような場面が,TV映像にはいくつもあった。
視聴者の中には,パンくんが本当に「おつかい」を頑張っていると思っていた人もいたかもしれないが,この「おつかい」コーナーは,ストーリーがうまく流れるように様々なシーンをつなぎあわせて作りあげられたフィクションである点にも注意する必要がある。パンくんはそもそも「おつかい」の目的を理解していないだろう。首を縦に振るという芸によって,「おつかい」についての説明をパンくんが理解しているように見せていただけだ。つまり,パンくんは「おつかい」の目的のためにどう行動すべきかがわからない中で,様々な行動をさせられていたということになる。そのため,撮影はスムーズには進まなかっただろうと推測できる。納得できるおもしろい映像を撮るために,何度も撮り直しをすることもあっただろう。実際に,あるシーンでは,影の位置が大きく変わるほどの時間をかけて同じ場所でのロケが続けられていたことが確認できた(松阪, 2018)。
カドリー・ドミニオンでの動物ショーでも,パンくんがストレスを感じていることがわかるシーンがあった。たとえば,パンくんと調教師の宮沢氏が「漫才」の掛け合いをする場面だ。ここでも,パンくんは宮沢氏のセリフを理解はしていないが,タイミングよく首を縦や横に振ることで,話を理解しているかのようなやり取りが繰り広げられる。
《パンくんと宮沢氏の「漫才」》
「今日の会場は綺麗な方ばかりだね」という宮沢氏に対して,パンくんが首を横に振る。綺麗じゃない人がいるなら指さしてみて,という宮沢氏の言葉の後に,パンくんが会場を指さす。宮沢氏が即座に「やめなさい!指をさすのは!」と言ってパンくんの指を押し返すと,パンくんは口の先をとがらせる。その後,パンくんは再び指をさし,また制止されて口をとがらせ,あごを宮沢氏の肩に近づける。
口の先をとがらせるのは「パウト」と呼ばれる表情で(図4),不安や不満を感じていることを示すものだ。これは「漫才」の筋書きに沿ったツッコミの場面だが,パンくんの表情は,宮沢氏の仕草や口調を攻撃的なものだと捉えてパンくんが不安を感じたことを示している。また,その後にあごを宮沢氏の肩に寄せるのは,不安を感じたパンくんが,宮沢氏との接触によって安心を得ようとする仕草だろう。パンくんに抱きつかれては漫才にならないので,宮沢氏は近寄ろうとするパンくんを阻止して立たせ,芸を続けようとする。乳児のパンくんにとっては,つらい時間だっただろう。
テレビでも動物ショーでも,パンくんはいつも服を着て二足歩行をしていた。パンくんはヒトとして育てられたので自発的にそうするのだと信じていた視聴者もいたかもしれないが,着衣も二足歩行もパンくんの本来の姿ではない。ショーを引退した現在のパンくんは服を着ずに四足歩行をしていることが,ネット上の動画でも確認できる。テレビや動物ショーでは,パンくんは「人間のような姿」を強制されていたのだ。強制された芸なのに,それがパンくんの自然な姿だと思いこませるような演出がなされていたことに注意が必要だ。
TV映像では,テロップや音声の追加によって,パンくんの感情表出の意味が変えられている場面もあった(松阪, 2018)。たとえば,パンくんが無表情で飛び跳ねたり,回転したりしている映像に「やった!」や「たのしー」というテロップがつけられる例があったが,これらはパンくんの喜びを反映した動作ではなく,調教師の指示によるものだと考えられる。パンくんが「おつかい」を終えて宮沢氏の元に帰りつくシーンには,悲鳴やフィンパー(チンパンジーの泣き声)の音声が追加されていた。しかし,よく見るとパンくんは無表情で,高ぶった音声を発している様子もない。これは「不安で大変だったおつかい」を終え,宮沢氏とやっと再会できた時の感情の高まりを表す演出だろう。
こういった「娯楽のための演出」はテレビではよくあることなのだろうが,視聴者を騙す捏造行為だとも言える。こういった演出によって,パンくんの本当の気持ちの理解が妨げられることも問題だ。「嘘だとしても,人を楽しませて幸せにしたのだから良い」と考える人もいるかもしれないが,こういう映像で人は楽しめたとしても,チンパンジーは幸せになれない。むしろこれは,チンパンジーの犠牲の上に成り立っている娯楽だといえる。
チンパンジーのエンタメ使用の長期的問題
前節では,テレビやショーへの出演によるストレスの問題に焦点を当てた。次に,もっと長期的な影響について整理しておこう。テレビやショーでの使用が引き起こす「母子分離」の問題や,成熟して使用できなくなったチンパンジーの長い「余生」の問題だ。
①エンタメ使用がもたらす「母子分離」
カドリー・ドミニオンには,プリンちゃんの父親(パンくん)も母親(ポコちゃん)も飼育されているが,プリンちゃんは両親から離されて人間の手で育てられてきた。このように「人工保育」で育てられたチンパンジーは,他のチンパンジーと適切に関わることができなくなるという問題が指摘されている(山梨ら, 2016)。人工保育のチンパンジーは育児放棄をすることが多いため,その子どももまた人工保育になるという負の連鎖も生じているという。
このような問題を防ぐため,多くの動物園が人工保育をできるだけ避けようとしている。チンパンジーの母親が育児放棄をしてしまった場合にも,チンパンジーの群れに子どもが加入できるようにする努力がおこなわれ,成功例も出ている。たとえば,パンくんの妹・ゴウも一度は人工保育になったが,日立市かみね動物園の飼育担当者の努力により,チンパンジーの群れでの生活ができるようになっている。
一方,プリンちゃんに対しては逆のことがおこなわれたようだ。母親が正常に育児をしていたのに,生後4日目にプリンちゃんを引き離したようなのだ(松阪, 2015;SAGA, 2015)。母親から引き離されたチンパンジーは人間に依存するようになり,調教がしやすくなるからだろう。その後,プリンちゃんは生後10ヶ月という異例の早さで「みやざわ劇場」の舞台にデビューしているが,両親のもとに返す努力はおこなわれていないようだ。
②引退したチンパンジーの長い「余生」
このように,プリンちゃんは乳児の時から他のチンパンジーと関わる機会が奪われてきた。そのため,他のチンパンジーと関わる社会的スキルを獲得できておらず,チンパンジーの集団で暮らすことが難しくなっていると考えられる。たとえば,優位なチンパンジーへの「あいさつ」として,身を低くして近付きながら喘ぎ声を出すパントグラントという行動があるが,プリンちゃんはこれを修得できていないだろう。また,交尾や育児も正常におこなえず,仮に人工授精で妊娠して出産したとしても育児放棄をしてしまう可能性がある。年下の子の世話をした経験がない上に,他のメスが育児をする姿を見たこともないからだ。
プリンちゃんがチンパンジーの群れで生活できないのなら,ずっと人と暮らせば良いと思う人もいるかもしれないが,そういうわけにはいかない。チンパンジーは9歳頃に若者期に入ると力がとても強くなり,直接に触れあうのは人にとって危険なことになる。子どもの頃には抱いたり遊んだりしてくれた人とも,親しく接することができなくなるのだ。チンパンジーの寿命は50年ほどだが,若者期に動物ショーを引退した後の40年ほどの長い「余生」を,人ともチンパンジーとも接することができない寂しい状況で過ごすことになるということだ。パンくんには辛うじて,動物ショーの同僚だったポコちゃんという同居者がいるが,プリンちゃんはこのままでは孤独な余生を送ることになる可能性が高い。
動物を擬人化して感情移入することの問題点
ヒトは動物をつい擬人化して解釈しようとする。同じ状況に置かれれば動物もヒトと同じように感じると思ったり,似た表情や仕草が見られた時にヒトと同じ意味の行動だと考えたりする。このような解釈は間違いであることが少なくないが,テレビや動物ショーではさらに,動物を擬人化する演出によって間違ったイメージが作られる。作られたフィクションなのに動物に感情移入して,「試練に挑む」姿に感動したり応援したりするといったことまで起こる。
こういったことは,動物に対してヒトが共感し,愛情を抱くからこそ起こることだろう。しかし,本稿でみてきたように,テレビや動物ショーでは,チンパンジーに恐怖や不安を強いる場面がみられた。長時間の撮影や調教の過程でのストレスもあると考えられる。また,チンパンジーのエンタメ使用が,母子分離や孤独な余生という長期的問題を引き起こすことにも触れた。擬人化された動物の姿に人々が感情移入して楽しんでいる裏側で,現実の生身の動物たちにこういった問題が起きているのだ。動物を使った娯楽の負の側面について,正しく理解することが大切だ。
また,このような娯楽を賞賛して求める声が,娯楽のための動物使用をエスカレートさせることにも注意が必要だ。皮肉なことに,パンくんたちへの人々の愛情が,彼らの現状の改善を阻害し,さらに次の犠牲者を生み出す力になりかねないのだ。愛情を向ける相手のことを理解しようと努めて,その幸福を考えるのが,本当の意味での深い愛情だろう。そのように動物を愛することも,ヒトにはできるはずだ。
文献
- 松阪崇久 (2015)「パンくんの赤ちゃんが母親から引き離された件」 https://forest-music.at.webry.info/201510/article_2.html
- 松阪崇久 (2018)「ショーやテレビに出演するチンパンジー・パンくんの笑いと負の感情表出」『笑い学研究』25, 90-106.
- SAGA (2006)「チンパンジーのTVバラエティ等における使用に関する要望書について」 http://www.saga-jp.org/ja/news/request200612.html
- SAGA (2015)「不当な人工保育に対する批判声明」http://www.saga-jp.org/ja/news/2015-11-24.html
- SAGA (2016)「チンパンジーの不適切な飼育展示に対する批判声明」 http://www.saga-jp.org/ja/news/2016-07-18.html
- 山梨裕美・小倉匡俊・森村成樹・林美里・友永雅己 (2016)「チンパンジーの人工保育とエンターテインメント:動物福祉・保全と将来展望」 Animal Behaviour and Management, 52(2), 73-84.
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