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【小特集】

政治的イデオロギーにおける変化への抵抗

稲増 一憲
関西学院大学社会学部 教授

稲増 一憲(いなます かずのり)

Profile─稲増 一憲
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(社会心理学)。武蔵大学社会学部助教などを経て現職。関西学院大学社会心理学研究センター長を兼務。専門は社会心理学・政治心理学。著書に『政治を語るフレーム』(単著,東京大学出版会)など。

民主主義を採用する社会においては,異なる政治的立場を持つ人々の議論により政治的な決定がなされる。最終的には多数決に委ねるとしても,少数派にも意見表明の機会が十分に確保されており,議論の過程で人々の意見が変化し支持を逆転する可能性があるからこそ,敗者も決定を受け入れる。

これが民主主義のあるべき姿だが,実態がそうとは限らないのは,国内外の政治ニュースを見れば,嫌でも痛感させられる。政治家も有権者もイデオロギーに拘泥し,立場が異なるものに耳を貸しはしないのである。保守イデオロギーを持つ者が変化に抵抗するのは当然かもしれないが,それに対置されるリベラル,革新といったイデオロギーを持つ者も同様に自らの立場を簡単には変化させない。

心理学におけるイデオロギー研究

心理学においても,米国で有権者の政治的分断が問題となった2000年代以降に,イデオロギーの研究が目立つようになった。たとえば,集団への協力や同調の程度(Claessens et al., 2020),道徳的基盤(Haidt, 2012),病原体を回避する傾向 (Tybur et al., 2016)などが個人のイデオロギーと関連することを明らかにしている。

心理学では,他の研究対象を扱う場合と同様に,イデオロギーについても生物としてのヒトが持つ普遍的な特徴と捉える傾向が強い。そして,進化の観点を適用し,ヒトのイデオロギーを形作った究極因を探ろうとする。イデオロギーという概念が用いられるようになってから,たかだか200年程度しか経過していないことを考えると,進化という観点を持ち出すのは一見奇妙である。しかし,イデオロギーという概念が確立する以前から人々の間に(自然的)保守主義が存在していたといった議論は,すでに英国の政治家ヒュー・セシル卿によって,19世紀初頭には行われており(Cecil, 1912/1979),心理学が主たる対象としてきたのは,ヒトが自然に持つイデオロギーだと考えれば,合点がいく。

一方で,これらの研究が社会にとって「厄介」なのは,基本的には有権者の態度変容の余地がないことを示す試みだということである。進化的な説明は,なぜ人々がイデオロギーに拘泥し,社会が分断してしまうのかを説明することはできても,異なるイデオロギーを持つ者同士が議論を行い,政治的立場を変化させるような民主主義的プロセスは想定しづらい。近年,生物学あるいは進化の観点からイデオロギー対立の究極因を検討した心理学研究が追試に失敗していることは,心理学者にとっては悲報かもしれないが,民主主義よりマシな政治制度を見つけることができていない人類にとっては朗報かもしれない(もちろん,進化的な観点に基づく変数がイデオロギーを説明しうるのかを検証する試み自体は,仮説の成否に関わらず有用である)。

政治学におけるイデオロギー研究

心理学のイデオロギー研究からは民主主義への希望を見出せそうにないので,心理学ワールドを後にして政治学ワールドへと出掛けよう。

心理学と方法論の共通性が高い政治行動論や世論研究の分野においては,イデオロギーは主として個別の争点を束ねる軸として扱われる。たとえば,人々が保守・リベラルというイデオロギーを持っており,保守であれば同性婚や国民皆保険に反対,リベラルであれば賛成といった形で,イデオロギーに応じた政治的態度を保有するということになる。

しかし,Converse(1964)が明らかにしたように,イデオロギーに基づいて政治を理解している米国の有権者は少数であった。彼による自由回答の分析によれば,多くの一般有権者は,白人と黒人といった集団,自身が興味を持つ特定の争点,候補者の容姿といった非政治的要因によって政治を捉えており,保守・リベラルといった概念を用いてはいなかった。また,有権者の争点態度はイデオロギーによって統合されておらずバラバラであった。Converse(1964)の知見を覆すことは幾度となく試みられたものの,基本的には現代においても,米国以外のたとえば日本の現状においても,あてはまる知見といえる。このことを考えると,米国の有権者は確かに分断しているかもしれないが,イデオロギーに基づいて分断しているわけではなく,それはDemocrat(民主党)とRepublican(共和党)という集団に分かれているだけなのかもしれない(Kinder & Kalmoe, 2017)。そして,日本でイデオロギーに基づく分断が米国ほど激しくないように見えるひとつの原因は,二つのイデオロギーと二つの政党といった対応関係が明確ではないからかもしれない。

人々がイデオロギーを理解しておらず争点態度がバラバラ,というのは,人々の政治的態度の変化しやすさを意味するともいえるが,人々がイデオロギーではなく政党という集団に拘るのも,それはそれで厄介である。有権者の政党への帰属意識は,幼少期からの政治的社会化というプロセスによって長期的に培われるため,簡単には変化しない (Campbell et al., 1960)。

「変化への抵抗」への抵抗

有権者の分断の背景に,イデオロギーという概念が提出される遥か以前にヒトが身に着けた自然的イデオロギーがあるにせよ,(イデオロギーではなく)長期的に培われた集団への帰属意識があるにせよ,それを変化させるのは容易ではなく,分断を乗り越えることがいかに困難であるかが分かる。

一方で,政治学における別の研究群は,我々がなすべきことを考えるひとつのヒントを提供しているかもしれない。それは,たとえ一般有権者が政治の専門家と同じ形でイデオロギーを理解していなくとも,保守・リベラルといったイデオロギーのラベルがヒューリスティックとして機能することで,詳細な知識を持たずとも政治家とコミュニケーションを行うことが可能となり,理にかなった選択を行うことができるというものである(e.g. Sniderman et al., 1991)。なお,心理学におけるヒューリスティック概念は不完全な情報に基づくバイアスという側面が強調されるが,政治学に導入された際に不完全な情報に基づいて妥当な推論を行うというポジティブな側面も強調されるようになった。

考えてみれば,「イデオロギーに基づく分断」の構造は変わらなくとも,分断の程度は時代によって変わる。対立や分断が比較的浅い時期もあれば,深い時期もある。このひとつの原因は,政治家たちがいかに政治争点を提示するかというコミュニケーションだといえる。

イデオロギーを政治家と一般有権者を繋ぐコミュニケーションのツールと捉えるならば,抵抗すべきはヒトが持つ性質そのものではなく,あくまで,それを利用して分断を煽るコミュニケーションとなる。前者に比べると,後者への抵抗には,まだ希望が持てる。

そのためには,ヒトがどのような性質を持つかを知ると同時に,具体的な政治コミュニケーションの中でイデオロギーがどのように表現されるかを知ることが肝要である。政治家や政党が用いるレトリックを暴くことは,硬直化した有権者同士の分断を解きほぐす鍵となり得る。これは単一の学問分野では到底成し得ない。政治分野における変化への抵抗に抵抗することは,学問分野の壁を超えて取り組むべき大きな課題であろう。

文献

  • Converse, P. E. (1964). The nature of belief systems in mass public. In D. E. Apter (Ed.), Ideology and discontent (pp. 206–261). Free Press.
  • Cecil, H. (1912). Conservatism. Williams and Norgate[セシル/栄田卓弘 訳 (1979)『保守主義とは何か』早稲田大学出版部]
  • Campbell, A., Converse, P. E., Miller, W., & Stokes, D. (1960). The American voter. University of Chicago Press.
  • Claessens, S., Fischer, K., Chaudhuri, A., Sibley, C, G., & Atkinson, Q. D. (2020). The dual evolutionary foundations of political ideology. Nature Human Behavior 4(4): 336-345.
  • Haidt, J. (2012). The righteous mind: Why good people are divided by politics and religion. Pantheon.
  • Kinder, D. R., & Kalmoe, N. P. (2017). Neither liberal nor conservative: Ideological innocence in the American public. University of Chicago Press.
  • Sniderman, P. M., Brody, R. A., & Tetlock, P. E. (1991). Reasoning and choice: Explorations in political psychology. Cambridge University Press.
  • Tybur, J. M., et al. (2016). Parasite stress and pathogen avoidance relate to distinct dimensions of political ideology across 30 nations. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America 113(44): 12408-12413.

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