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裏から読んでも心理学

ただより高いものはない。

慶應義塾大学文学部 教授

平石 界

春になって暖かくなると外歩きが楽しくなってきますね。梅や桜や桃も咲いたりして。昨年はそれなのに新型コロナウイルスで近所を散歩することすら憚られる雰囲気で,さて本稿掲載予定の2021年4月はどうなっているでしょう。

ところで外歩きの安全を脅かすのはウイルスだけではありません。そうです自動車です。小さい子なんか連れて歩いてたら,車の前に飛び出さないように手をギュッと握って。子どもなんて本来,目についたものに片端から飛びついて世界を探検するのが仕事みたいなものなのにね。自転車のすぐ脇をかすめて追い越す車に罵詈雑言を浴びせたくなることもしばしば。

もっとも勝手なもので,いざ自分が車を運転する段になると,道路に広がってワイワイ楽しそうな学生たちに舌打ちしてしまったり,自転車をなかなか追い抜けなくてイライラすることも。もちろん自分の心の弱さを克服すべく心がけてはいるのですが,云十年生きてきて未だに完全とはほど遠い。だいたい何事も心がけで済むなら,そんな安上がりなことはないわけです。そもそも体積も重量も速度も全く異なる存在が一つの道路に混在させられているからイライラするし事故も起きるわけで,物理的に住処を分けてしまえば皆ハッピー。単純な話のはず。

そういうわけで自転車専用道の話です。ロンドンが2012年のオリンピック目指してサイクル・スーパーハイウェイを整備したという話を羨ましく思っていたら,東洋の某都市も2020年に向けて自転車利用促進を図ると言うので喜んだのも束の間,出来上がったのが路肩に描かれたしょぼい矢羽根印でがっかりしたのでした。とは言えロンドンの超高速自転車道も完璧とはほど遠く「車道の端をペンキで青く塗っただけやん」とか言われちゃってるみたいです。写真を見る限り矢羽根よりかなりマシなようですが,言いたいことは分かります。これでちゃんと事故を防げるの?

交通事故の記録は(建前上)全て警察にあるはずだし,自転車通行帯の効果を調べるなんて簡単かと思っていたのですが,ことはそう単純でもない。事故地点が他より危険であったか判断するには,比較対象となる統制地点を設定する必要があるのだけれど,これがなかなか一筋縄でない。ある研究では経験ベイズ法と傾向スコア分析を駆使して調べました(Li et al., 2017)。すると超高速自転車道は自転車利用者数を増やしたけど,安全面への寄与は見られなかったという,いささか残念な結果。もう少し詳しく見てみると,車と自転車が縁石などで物理的に分けられていると事故は減るが,ペンキ塗っただけではむしろ事故が増えている可能性すらある。

縁石とペンキの効果をもっと詳細に見ようって研究のデザインがなかなかクールでした(Adams & Aldred, 2020)。事故にあった自転車乗りの自宅郵便番号を使って,被害者が通ったであろうルートを推定して,そのルート上の1地点をランダムに選んで統制地点としたのです。事故が縁石なし青ペンキ上で起きたとしても,自転車がずっと青ペンキの上を走ってきてたなら,統制地点も青ペンキになるから,事故は青ペンキのせいってことにならない。数千の事故地点と統制地点を用意して分析したところ,車の侵入OKな「自転車推奨レーン」では,むしろ事故は増えていた。このレーンって写真で見ると日本の矢羽根とノリが同じ。

だいたいペンキ塗る程度で安く済まそうとするから,こういうことになるんじゃないかと。昔から言うじゃないですか,ただより高いものはない。

Profile─ひらいし かい
東京大学大学院総合文化研究科博士課程退学。東京大学,京都大学,安田女子大学を経て,2015年4月より慶應義塾大学。博士(学術)。専門は進化心理学。

平石 界

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