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私のワークライフバランス
娘の保育園時代を懐かしんでみる
宮本 聡介(みやもと そうすけ)
Profile─宮本 聡介
1996年,筑波大学大学院博士課程心理学研究科修了。博士(心理学)。2009年より現職。専門は社会心理学・社会的認知。著書に『社会的認知』(分担執筆,ナカニシヤ出版),『新しい社会心理学のエッセンス』(共編著,福村出版)など。
産休明けから保育園に預け,大学教員の配偶者と校務を調整し合いながら子育てしたことの懐かしさ,保育園でどろんこ遊びに夢中だったお子さんが高校生となる成長の喜びを,宮本聡介先生が語ってくださいます。
我が家は妻,娘,私の3人構成です。妻も私も大学で働いています。娘が産声を上げたのは15年前。生まれたばかりの頃は,妻の職場に近いつくば市に居を構えていました。子どもができたとわかったときから,我が家では産休明け仕事復帰を目指した保育園探しが始まります。生まれて間もない娘を保育園にあずけることについて,二人の間でなにか真剣に話し合ったということはなく,夫婦ともども当たり前の選択肢と思っていました。15年前のことですので,記憶が曖昧な部分もありますが,懐かしさもあり,当時のことを思い出してみることにしました。
産休明けから娘をあずけたのは,泥々になるまで園児を遊ばせてくれると評判(?)の保育園でした。朝夕の送り迎えが始まることになります。我が家から保育園までは距離にしておよそ7キロ。周囲を田んぼに囲まれたその保育園へは,自家用車を使う以外,交通手段はありません。当時働いていた水戸の大学まで,車通勤に1時間ほどかかるため,妻より少し早めに家を出る私が娘の送りを,そして,職場が近い妻が夕方の迎えをするという毎日を送っていました。夕方迎えに行くと,娘は園長先生の膝の上ですやすや眠っていた,と妻が嬉しそうに話していたのを懐かしく思い出します。
小中学校と皆勤を達成し,今では超がつくほど健康優良な娘ですが,赤ん坊の頃はよく熱を出していました。朝,保育園に娘をあずけ,通勤先の水戸に向かう途中で携帯電話が鳴ることが幾度となくありました。車を運転しながら電話に出ると(もちろんハンズフリーフォンです),娘が熱を出したとの連絡が。その日のスケジュールを妻と確認し,どちらが娘を病院に連れて行くか決めなくてはなりません。当時はできるだけお互いの授業が同じ曜日に重ならないようにしていました。会議日もずれていたので,平日の繁閑が重なることはあまりなかったように思います。それでも妻と私の予定が重なってしまうことはあります。そんなとき,我が家では迷惑をかける相手の人数を一つの目安に娘の対応をしていました。例えば,大人数の授業と研究の打ち合わせだったら,研究の打ち合わせをずらしてもらうなどです。風邪やインフルエンザなどが流行る秋から冬の時期は,毎日ヒヤヒヤしながら職場に向かっていました。
娘が通った保育園は,泥々になるまで園児を遊ばせてくれるとの評判に恥じない素晴らしい自然環境に囲まれていました。周囲を田んぼに囲まれたその保育園は,夏の夕方になるとトンボの飛行大会が始まり,サラウンドモニターがおいてあるかのようにカエルの歌声が聞こえてきます。そんな日は,娘を迎えに行ってもすぐには帰れません。娘はお友達と一緒にトンボ捕り,カエル捕りを始めます。園内には大きなジャングルジム,すべり台があります。馬小屋もあります。当時,保育園には小型の馬が3頭いました。ある日の夕方,園児たちがサッカーボールを追いかけ始めると,迎えに来ていたお父さん,お母さんがいつの間にか仲間に入り,みんなでサッカーに興じていたこともありました。子どもたちは,一通りの道草をして,納得して帰途につきます。迎えに来てから園を離れるまでに1時間はゆうに過ぎていました。
娘が4歳になった頃,私は都内にある明治学院大学で働くようになりました。その2年後,妻も都内の大学での採用が決まり,つくばを離れることを決めました。ちょうど娘が小学校に上がる年でした。小学校に上がりたての頃は“つくばに帰りたい”と毎日泣いていた娘も,この4月から高校生になります。数日前,この原稿を書いていると,部活から帰ってきた娘が開口一番「お願いがあるんだけど」と。自分の誕生日が近づいていることもあり,誕生日のプレゼントに,某アイドルグループのファンクラブ入会金を用立ててほしいと言うのです。どろんこ遊びに夢中だった娘が,今はアイドルに夢中です。
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