公益社団法人 日本心理学会

詳細検索

心理学ワールド 絞込み


号 ~

執筆・投稿の手びき 絞込み

MENU

刊行物

【小特集】

コロナ禍のメンタルヘルス情報発信の舞台裏

竹林 由武
福島県立医科大学医学部健康リスクコミュニケーション学講座 助教

竹林 由武(たけばやし よしたけ)

Profile─竹林 由武
広島大学大学院総合科学研究科総合科学専攻博士課程修了。博士(学術)。統計数理研究所リスク解析戦略研究センター 特任助教などを経て2016年より現職。国立精神・神経医療研究センター 認知行動療法センター 客員研究員兼務。

「研究はひとりじゃできないよ」。

これはわが家の日めくりカレンダーにあるお気に入りの一言です。このカレンダーには,歴代のゼミ生から募集しまとめられた,私の大学院修士課程の指導教員の様々な名言・迷言が書かれています。その中でなぜこの言葉がコロナ禍で私に響いているのかというと,メンタルヘルス対策に関する情報発信を行うプロセスの中で,「研究活動はひとりではできない」ことを私が切に実感してきたからです。ここに私が携わってきたコロナ禍のメンタルヘルス対策に関する情報発信活動が,様々な方に支えられてきたことを記しておきます。

メンタルヘルス対策の指針翻訳

私はコロナ禍の当初から,国際機関が発行する感染症流行期におけるメンタルヘルス対策に関する指針の翻訳に携わってきました。機関間常設委員会(IASC)の「新型コロナウイルス流行時のこころのケア:ブリーフィングノート(ver.1.5)」と「新型コロナ感染症の対応者ガイド こころのケアスキルについて」,国際強迫症財団(IOCDF)の「新型コロナウィルス感染症(COVID–19)に関する情報:強迫症やその関連症がある方々のために」,国連の「新型コロナウイルス感染症(COVID–19)とメンタルヘルス対策の必要性」,イギリス心理学関連学会連合声明である「新型コロナウイルス感染症が世界的に流行する状況下における心理士のための指針」などがあります。

その中でも,IASCのブリーフィングノートの翻訳は,コロナ禍で情報発信に傾注する一つのきっかけとなりました。感染症流行期のこころのケアの指針であるブリーフィングノートの翻訳を公表した時は,国内はまだ感染拡大初期(2020年3月中旬)でしたが,私はブリーフィングノートに記載されたメンタルヘルスの問題がリアリティをもって想像することができました。なぜなら,ブリーフィングノートに示された多様な問題は,福島県で発生した原発災害後に生じた心理社会的な問題と多くの共通点をもっていたからです。私は福島県で災害関連のメンタルヘルスに関する研究や啓発活動をしてきたので,その経験から情報発信の重要性が理解できました。翻訳のご依頼をいただいた災害こころの医学講座の皆様に,コロナ禍のメンタルヘルスの課題と向き合うきっかけを与えていただいたことを感謝いたします。

情報発信プロジェクトの実際

IASCの対応者ガイドは翻訳の公表だけではなく,YouTube動画も作成し公開しました。その翻訳と動画作成にあたっては,国立精神・神経医療研究センターの認知行動療法センターの皆様をはじめとした多機関に渡る協力者の皆様にご尽力いただきました。ここで,対応者ガイドの翻訳プロセスを少しご紹介します。まず,翻訳する原文をDeepLで機械翻訳し,それを日本語訳の下訳としました。この下訳だけだと訳の抜け落ちや不正確・不自然な訳が残ります。そこで次の手順として,下訳を原文と一文一文照らし合わせながら日本語表現を修正していきました。翻訳は複数名で担当を分割し,一名によって担当箇所の日本語案が完成次第,別の一名がそれを再チェックしました。この手順によって翻訳の速度を重視しつつ正確性を維持することができました。また,対応者ガイドに関する翻訳やYouTube動画作成のやりとりはGoogle Docsによる翻訳の実施と修正,Googleスプレッドシートによるスケジュール管理,Slackを通じた手順説明や進捗報告など,主にテキストコミュニケーションによって遂行されました。対面はおろかZoomなどのビデオ通話を介することもありませんでした。後で紹介する遠隔心理学に関する種々の翻訳・情報発信プロジェクトのほとんども同様のプロセスで実施されていました。プロジェクトの協力者はTwitterを介して募集され,いまだに顔もわからない人が何人もいるのですが,作業は滞りなく進みました。コロナ禍で負担が多い状況でも数々のプロジェクトを継続してこられたのは,このように無駄がなく,心地よく,効率よく,そして何より楽しく協働できるチームの方々がいたからです。プロジェクトに携わっていただいた皆様にこころから感謝いたします。

遠隔心理学の情報発信

IASCのブリーフィングノートで想定されたメンタルヘルスの問題(例えば,PTSDやうつなど)は災害時と感染症流行時で類似していますが,両者の間では支援の提供方法という点では大きな違いがあります。感染症流行時には,感染予防の観点から対面でのコンタクトが制限され,非対面での支援が推奨されます。しかしながら,感染症の国内流行が本格化した2020年3月中旬当時は,国内の多くの支援者は非対面での心理支援の方法について馴染みがありませんでした。非対面での支援体制を模索する中で初めての緊急事態宣言が出され,心理面接が中断せざるを得ない状況も経験しました。その時に「私の困りごとは不要不急なのですね。それってすごく心外です」との患者さんの言葉に,謝ることしかできなかった悔しい感情を今でも鮮明に覚えています。おそらく,全国で私と同様の経験をされた心理職の方が多くいらっしゃるでしょう。そうした状況の中,国内での非対面の支援体制の迅速な確立を,と願って始めたのが遠隔心理支援に関する情報発信でした。

心理学会を通じた発信

まず,アメリカ心理学会(APA)による「遠隔心理学実践のためのガイドライン」と関連するウェブ資料の翻訳に取り組みました。それと同時に,イギリスカウンセリング・心理療法協会における遠隔心理支援の指針である「カウンセリング専門職のオンラインワーク 良い実践のための推奨047ファクトシート」の翻訳にも取り組みました。APAの指針等の翻訳に際しては,APAに翻訳許可をもらうために当時の日本心理学会の広報委員長であった三浦麻子先生が迅速にご協力くださり,翻訳を日本心理学会のホームページに掲載するために理事会にもかけあってくださいました。また,広報委員の皆様は,翻訳のチェックと日本心理学会ホームページへの掲載にお力添えくださいました。日本心理学会のホームページに掲載されたインパクトはやはり大きく,多くの方にご覧いただきご活用いただくことができました。三浦先生をはじめとする日本心理学会の広報委員の皆様に感謝いたします。

認知・行動療法学会を通じた発信

イギリスカウンセリング・心理療法協会の指針の翻訳は,私が直に協会関係者に問い合わせ,許可をいただきました。こちらも普及を考えると私個人が公表するよりも,学会を通じての公表が望ましいと考え,日本認知・行動療法学会のホームページを介して公表したい旨を広報委員長の大月友先生に相談しました。大月先生がすぐに理事会にかけあって許可をくださったおかげで迅速に公表することができました。これをきっかけに,認知・行動療法学会を介してコロナ関連の情報を共有することが可能となったため,遠隔心理学のエビデンスリストやラポール形成のtipsもそこで公表することができました。遠隔心理学の指針などの翻訳や情報発信に関わっていただいたメンバーには,それらの情報を原稿にまとめていただき,それをまとめて「遠隔心理支援スキルガイド」として書籍化することができました。メンバーの皆様に深く感謝いたします。

さらに認知・行動療法学会の機関誌『認知行動療法研究』にて,「遠隔認知行動療法」と題した特集号の企画もしました。多くの方に投稿いただき,8本の論文が刊行されました(私も著者の一人として一つ論文を寄せました)。この企画は,私のSNSでの嘆きを常任編集委員の田中恒彦先生が拾って理事会にかけあってくださり成立したものでした。企画を形にしマネジメントしてくださった田中先生と共同で担当編集委員を務めてくださった三田村仰先生に感謝いたします。

レター論文による発信

その他には,コロナ禍以前から関わってきた国立精神・神経医療研究センターの方々とコロナ禍のメンタルヘルス問題を論じた原稿を学術誌に投稿しました。私がいくつかテーマと骨子をあげて,賛同いただいた方々と原稿執筆に取り組みました。具体的には「コロナ禍でのポジティブ心理学の役割」「医療従事者のメンタルヘルスの危機」「コロナ禍の悲嘆とケア」についてのレター論文が海外の学術誌に掲載されました。その時に著者として声をあげてくださった方の中には,英語で論文を書くのが初めてだという方もいました。それでも大変な状況の中で何か社会のために役立ちたいという情熱で執筆に取り組んでくださり1ヶ月もかからずに原稿が整いました。これも賛同くださる共著者の方がいなければ決して達成することができませんでした。共著者に感謝いたします。

PDFをダウンロード

1