この人をたずねて
中野 珠実 氏(なかの たまみ)
Profile─中野 珠実 氏
2009年,東京大学大学院教育学研究科身体教育学コース博士課程修了。教育学博士。専門は,認知神経科学・生理心理学・発達心理学。順天堂大学医学部生理学第一講座 助教などを経て,2012年より現職。2016年~JSTさきがけ研究員。著書に『顔を科学する』(分担執筆,東京大学出版会),『生理心理学と精神生理学 第Ⅲ巻』(分担執筆,北大路書房)など。
中野先生へのインタビュー
─中野先生は多様なご研究に取り組まれていらっしゃいますが,これまでのご研究について教えて下さい。
多様というか,分散しているくらいですけどね(笑)。私のはじめの関心としては心と身体の関係性を知りたいと思っていまして,それで大学の卒論から,まばたきをテーマにした研究を始めました。大学院では脳の機能発達について研究をしたいと思っていたので,東京大学の多賀厳太郎先生のもとで多チャンネル近赤外分光法(NIRS)を使って乳児の脳活動に関する研究をするようになりました。そのとき,赤ちゃんに関して一番不思議に思っていたのは,どうして顔を好んで見るんだろう,とか,顔からどうやって情報を読み取れるんだろうという社会的な側面でした。そこから顔の研究や社会性に関する研究をするようになり,自閉症スペクトラム障害の方の視線や認知能力に関する研究にも携わってきました。
─現在の研究テーマを教えて下さい。
いまは,国立研究開発法人科学技術振興機構さきがけのプロジェクトで顔の研究をしています。特に今の時代は自分の顔を簡単に加工できるようになり,自分の顔に昔以上に関心をもつようになっているのではないかと思います。最近の研究では,自分の顔を魅力的に加工すると報酬系が働くが,他人の顔では働かないことを示しました。さらに,サブリミナルで顔を表示しても,同様に自分の顔に対してのみ報酬系が働くことを発見しました。このような結果からは,やはりひとは自分の顔に対して興味があって,自分の顔に関する情報を得ようとしている傾向が示唆されます。そしてこれが,自己顔バイアスや優先処理のメカニズムが働く機構であると考えています。
自己意識には公的な側面と私的な側面がありますが,その神経機構は未だによく分かっていません。この二つの自己意識は別々の神経機構で成り立っているのか,そうでないとすればどのように成り立っているのか,という点に関心をもって研究を進めています。
─中野先生の様々なご研究の根底にあるテーマはどのようなものでしょうか?
人間は非常に高度な社会の中で複雑な脳内ネットワークを背景として様々な感情や意識を抱いていますが,そのような中でどのようにして心と身体がバランスを保っているのだろうか,ということに関心があります。例えば,常に脳や心は揺れ動いていますが,それを暴走させずに一定のレベルに保たせている脳内の機構というのはどういうものなのだろう,という疑問をもっています。また,心を保たせている場合には身体も関わってきます。そういった,身体のフィードバックも含めて心と身体を安定させている「心のホメオスタシス」の機構や仕組みを明らかにしたいと思っています。
─「心のホメオスタシス」について,さらに詳しく教えて下さい。
そもそも人間は複雑な脳内処理を行っているのに,情報もパンクしませんし,思考も散逸せずに一定の水準を保っています。例えば私は,ひとはまばたきをすることによって情報の機構を安定化させているのではないか,という仮説をもって研究をしています。以前,私はまばたきに伴いデフォルト・モード・ネットワークの活動が上昇することを発見したのですが,まばたきは脳内の状態の安定化につながっているのではないかと考えています。これがどのような機構で成立しているのか,という点に関心があります。
─これまでのご研究で特に思い入れのある研究を教えて下さい。
まばたきの研究が私のアイコン的な研究になっていますので,ひとつはそれです。特に,まばたきでデフォルト・モード・ネットワークの活動の上昇がみられたという研究が,自分の中では一番面白かったと思っています。他に,ひとは,赤ちゃんのときには進化的に古い経路によって顔に注意を向けるのですが,その顔への注意が発達とともに大脳皮質の経路に移行していくことを示した研究があります。この研究は,いまの顔研究の重要な礎になっています。
─中野先生のアイデンティティは心理学にあるのでしょうか?それとも神経科学にあるのでしょうか?
私はもともと心理学にも神経科学にも属していなくて,自律神経系などの生理学的な分野の出身でした。そのため,私は心理学も神経科学もこだわりなく学際的に研究している立場です。ただそれでもやはり,ひとへのこだわりがあります。人間レベルの研究においては心理学的・生理学的・神経科学的・発達科学的なアプローチなど様々なアプローチがありますが,どれも一長一短なものです。脳機能を調べるだけで,ひとの高次な心理をどこまで探求できるかといえばやはり限界がありますし,かといって心理学的な研究に留まって人間の行動や認知判断だけに焦点をあてるのにも限界があります。発達的な観点や生理心理,神経活動の計測,そして臨床研究を,随時自分の関心に合わせる形で組み合わせて研究しています。
─最後に,若手研究者へ一言お願いします。
色々な研究をしていると,あるときにつながってくることがあります。最初はつながって見えていなくても段々とつながっていくものですし,引き出しを多くもっているほど,研究のバリエーションが生まれてきます。若いうちは,一見バラバラに見えるようなことでも,面白いと思ったことはどんどんやっていくといいのではないかと思います。そうして様々な引き出しをもってそれを組み合わせることで,オリジナルの研究テーマやプロジェクトを作っていけますし,自分の研究に広がりが出てきます。ですから,あまり若いうちに「このテーマだけをやる」というよりも,様々な手法やテーマに広く関心をもって取り組んでみることが大事だと思います。
インタビュアーの自己紹介
いま,どのような関心をもって研究に取り組んでいるのか
私はDark Triad/Tetradと呼ばれる,冷淡で非共感的なパーソナリティ特性の戦略性や狡知さの側面に関心があり,研究を進めています。従来の研究では冷淡なパーソナリティ特性は短期的な配偶戦略として適応価があるために進化的に残っているのだと説明されてきましたが,短期的な配偶戦略としての理解はそこまで実証的な知見と整合的なわけではありません。それよりもむしろ,これらの特性は積極的かつ狡猾に利益を得る側面があるがゆえに進化的に残っているのではないかという仮説のもと,現在の研究を進めています。
インタビューを行った感想
中野先生のご研究は,まばたき,乳児の脳機能発達,自閉症,顔の研究と多岐にわたります。これらは一見,独立したテーマのようにも見え,それはトピックの差異だけでなく心理学・神経科学・発達科学の分野も超えて領域横断的に研究を進められているという印象がありました。そこで今回のインタビューでは,このような多岐にわたる手法やテーマを中野先生ご自身がどのように統括的に捉えて研究を進められているのか,という点を主にお伺いしたいと思い,インタビューをさせていただきました。
実際にインタビューをさせていただくと,中野先生が上記の様々なテーマを「心のホメオスタシス」という非常に納得感のある言葉で統括されており,しかもそれは様々なテーマを幅広く扱っていく中で収斂されて出てきた問題意識であると伺いました。これはひとつの研究テーマを追究することで良い研究ができると思っていた私にとって大変な驚きがあり,とても勉強になりました。一見独立してみえるものでも各テーマは独創的につながっていく,という重要な示唆をこのインタビューから得ることができました。
私自身,Dark Triad/Tetradだけでなく,心の時代変化や心理学史的な研究テーマへの関心がありましたが,「自分の研究テーマではないから」と忌避してしまう部分がありました。今回のインタビューを通して,自分が面白いと思ったことをできる限り幅広く挑戦していきたいと思いました。将来的にどのようなテーマに結びつくか分かりませんが,それも楽しみのひとつとして取り組んでいきます。
Profile─しもつかさ ただひろ
早稲田大学文学学術院心理学コース 助教。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。専門はパーソナリティ心理学。論文に「日本語版Short Dark Triad(SD3–J)の作成」(共著,パーソナリティ研究,26(1), 12–22, 2017)など。
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