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【特集】
社会が変わる,社会を変える
社会は常に変化し,それに応じて人の生活や価値観も変わります。たとえば,テクノロジーの発展にともなってわたしたちの生活はますます便利になり,少し前にはできなかったことが,いまでは当たり前のようにできるようになっています。COVID–19の感染拡大で経験したように,急激な変化を余儀なくされることもあります。
また,人は社会を変えていこうとします。たとえば,SDGsは,環境と人間の多様性に配慮し,異なる価値観を受け入れ,働き方を改善し,持続可能な社会に変えていこうとする世界規模の目標です。
いまわたしたちの周りで起こっている変化はどのようなものであり,それは人の心をどのように方向づけているのでしょうか。根強く変わりにくいものを,どうすれば変えることができるのでしょうか。この問いに挑むために,心理学者がデータからとらえた変化の現状のいくつかをご覧いただき,社会を好転させる道を考えていきましょう。(大江朋子)
ふしぎの国の民主主義の通文化的構図─統治の不安概念を育てる
池田 謙一(いけだ けんいち)
Profile─池田 謙一
専門はコミュニケーション・政治心理学。博士(社会心理学)。本稿関連著書に『日本とアジアの民主主義を測る』『「日本人」は変化しているのか』(ともに共編著,勁草書房),The International Encyclopedia of Political Communication, 3 Volumes(共編著,Wiley-Blackwell),Social Networks & Japanese Democracy(S. Richeyと共著,Routledge),Political Discussion in Modern Democracies(共編著,Routledge)ほか。
心理学ワールドにお初に書くにはいかにもミスマッチな題目です。それは心理学が狭くなったためなのか,発展の方向が多様化したためなのか,心理学の有効性のリーチについても思いを巡らせていただければ幸いです。
ABS,CSES,WVSって何
名刺代わりに,自分の紆余曲折を振り返ります。出身は社会心理学ですが,30代初めにメディア関連の助手職の任期切れまであと2週間,というところで政治学から拾っていただいて以降,長らく社会心理学,政治学,メディア研究の3つの領域の間を往来しておりました。そして多国間の比較政治文化・選挙研究を経験しながら,科研による日本の国政選挙の巨大調査に15年ほど関わり,小泉自民党政権期には主査を務めておりました。
時期的にはこの政権の頃から,政治領域を中心とする国際比較研究の日本チームを支える役割を3つ果たしてまいりました。アジアンバロメータ(ABS),選挙制度の効果の国際比較研究(CSES),世界価値観調査(WVS)です。それぞれ国単位のランダムサンプリング調査による20ヶ国,40ヶ国,100ヶ国前後の巨大プロジェクトを数年おきに繰り返すものです。
第1回調査から関わったABSは東・東南アジアで民主化・経済発展と文化的差異に焦点を当て,文化と制度の多様性の中で巨大な中国を含むアジアの人々が民主主義をどうとらえているかを明らかにします。またCSESにも最初期の1996年から関わりましたが,全体をコントロールする調査実施国際委員会のコアメンバーとして活動したのは2003年からの2期10年でした。選挙制度という制約がもたらす人々の政治行動の差異を体系的実証的に検討するプロジェクトです。さらに著名な国際比較調査であるWVSと協同し,3つの比較調査とソーシャルネットワーク調査とを組み合わせたプロジェクトを5年間遂行したのは2010年代でした。
こうした中で「統治の不安」概念に行き着きました。WVSの知見をレビューする2016年の編著[1]末尾で発想したのですが,その概念的な位置づけを明瞭に認識したのはコロナ災禍の経験後でした。皆さんの参考となることを目的として,経緯をたどります。
ふしぎの国ニッポンと統治の不安
3つの比較研究の中で気がついたのは,日本のデータが奇妙な特異性をしばしば示すという点です。WVSで言えば,日本人は人生の自由度をとても低くとらえていたり,働き蜂と思われながらも仕事重視かと言われると,じつはその重視度は世界最低レベルであったりします。権威や権力に対する尊重という点でも世界最低レベルです。こうした特異性を「日本独自論」や「日本の特異な歴史的経験」のように,ユニークな国,ふしぎの国でヘンだねという位置づけではなく,通有的で一般化可能なロジックないし諸要因の布置の中で,いかに日本や日本人が特異な位置を占めるに至っているのかを示さなくてはなりません。
こうした特異性の中でも,日本が戦争に巻き込まれたりテロに遭ったり,あるいは内戦が起きるという国レベルのリスク認知や,失業や教育レベルが下がることのリスク認知が異様に高いことを2010年のWVS第6回調査データは明るみに出し,2019年の第7回調査でも頑健に継続していました。いやいや,東アジアの地政学と客観情勢を考えたらリスクを認識して当たり前,停滞の30年を考えたら仕事や教育への不安も当然,などというご意見は予想できます。しかし一方で国際平和度指数などの客観指標における日本の位置と,これらリスク認識での日本人の位置を比較すると,だいたい日本人が外れ値近くの位置を示します。図1はその一例で「戦争に巻き込まれる不安」と平和度指数の散布図を2010~2020年の間で見たものです。日本は赤で示され,平和度が高い国(指数値が低い国)の中で並外れた高さの不安を示しています[2]。西南戦争以来絶えた「内戦の不安」ですら同様のパターンを示します。「西側先進諸国」と呼ばれる国々とは大きく異なる位置取りで,20世紀末に広く議論された政治不信とはひどくパターンが異なります。政治不信では日本とこれらの国はとても似ていました。
ここには日本人の「統治の不安」(anxiety over governance)が露頭しています。日本の政治や国の進む方向の舵取りをする「統治」に対する不安が高いからこそ,このような過度のリスク認知が表出すると推論するからです。政治不信は過去の政治のあり方に関するネガティブでディフューズな(多重的かつ拡散した)眼差しですが,統治の不安は将来に向けられたネガティブでディフューズな眼差しです。後者は日本に特異的です。この気づきは,振り返ってみればセレンディップな気づきでした。新しい概念を掘り起こしたのです。
ですがこの推論の内実は,ここでのデータが直接的に示しているわけではなく,データの持っている含意に過ぎませんでした。2019年の著書[3]では概念の重要さを直感して「統治の不安」をタイトルに入れていたものの,この概念に関する試行錯誤の章が1章含まれていたのみでした。以後,概念の適切さを探索し続けることになります。
コロナの恐怖と政府の酷評
2020年にコロナ災禍のパンデミックが世界に襲来,災禍の日々を生き延びるだけでなく,各国市民の反応を比較データとして取得してきたグループの1つ,YouGovではコロナ災禍に対する恐怖や政府の対応に対する評価,個人の対応策について,20ヶ国ほどのインターネット調査データを公開してきました[4]。
このデータはまさに「統治の不安」の構図が日本に当てはまる様相を再現,実証したものに他なりませんでした。過度のリスク認知と政府の統治に対する手厳しい憂慮の併存が日本でのみ生じているのです。客観レベルでの日本のコロナ災禍は世界の中でもそれほどひどい状態ではありませんが,コロナに対する感染恐怖も経済的な被害の恐怖も,最多感染国と同様かそれ以上に日本人で高く,一方でそれらの国を下回るほどに政府の対策を酷評していたのです。コロナ対策の舵取りという統治に対する不安が高く,それは感染のリスクに比して特異的に高かったのです。類似した酷評のフランスやアメリカの死者は当時,日本の45倍,127倍でした。
日本の日々の出来事の経緯も,こうした推測を裏付けています。安倍内閣も菅内閣も,コロナ対策の評価が内閣支持と連動し,しかもそれは酷評となり,アベノマスクやオリンピック開催やワクチンの配布の手順を巡って,彼らはさんざんに叩かれていました(同情せよと主張したいのではありません)。一方,感染の恐怖は,志村けんの死がプライムとなって急速に拡大し,高止まりとなりました。図2は,調査参加国の2020年3月,4月,5月のデータを集計してプロットしたものです。日本は特異な右下の位置にいます。この後,自分も関わったVIC調査(“Values in a Crisis” survey, 2020–2021)という国際比較調査で見てもこのパターンは極めて安定的に現れていました。
統治の不安に隠されたロジックとは
コロナ災禍の中でも日本人の統治の不安の露頭が見える一方,概念そのものの測定は「リスクの過大認知」という指標でしかなく,そこが不徹底な点を改善しなくてはなりません。
概念的には,アメリカ人の投票行動を数十年のスパンで分析して,現職に対するレトロスペクティブな業績評価と次期候補へのプロスペクティブな将来期待の2変数が大きな規定要因だと実証したフィオリーナ[5]の研究に対応づけて,政治世界の過去と将来に対するネガティブでディフューズな判断として政治不信と統治の不安とをペアで対比させて位置づけたのも,その一環です。
実証的には「統治の不安」の指標と見たリスク認知が「国(日本)が民主的に統治されているか」の評価と明瞭な関連性を持つことが示されました。さらにこの関連性を考慮しても,日本人の統治の不安は,世界価値観調査の2010~2020年にわたる105の全国調査のマルチレベルの分析でも,特異的に高い切片の値を示していました。つまり,民主的な統治を疑うことに加えてさらに日本人の不安に特異性を与えている要因があるということです。
ここで,19年の著作で分析した各章の結論の意味にようやく思い至ります。つまり,21世紀に入り,日本では選挙において社会関係資本(social capital)が機能しなくなり,アジア的価値観とされる垂直性強調や調和志向の価値観の効果が政治の領域によってまちまちな機能を果たし,民主主義に対する評価や制度の信頼に対しては「西欧」的でリベラルな価値観を反映する一方,政治参加や他者への一般的信頼に関しては,アジア的価値観の抑圧的な側面が残存しており非一貫的な様相を示しています。さらに,選挙において選んでもよいと認識する政党の選択肢の幅(latitude of choice)が狭まり選択に苦しむ事態が出現しています。このような複数の要因の蓄積こそが日本人の不安の切片を高くしているのではないか,という推測です。
2021年秋の衆議院選は,これらの推論を一挙に検証するよい機会となりました。詳細は執筆中ですが,これまで未解決だった統治の不安概念の直接的尺度の作成,その新・統治の不安尺度と政府に対する酷評との関連性の検証,世界の中で統治の不安の日本の切片を高くしていると推定した諸要因が実際に予想通りの加算的な作用を持つ,つまり統治の不安はディフューズで多岐にわたるネガティブ要因の加算効果によって高められていることを立証しています。
統治の不安の未来と研究の未来
日本人は,このような不安を自らの政治参加で解決しようとしていません。人々は自らの身の回りに全てを傾ける「私生活志向」[6]の中で,政府に対する依頼と依存の構造を持ち,冷ややかに政府を見ています。これを放置すれば,「日本沈没」が具体化してしまいかねません。どうすれば私たちの未来は開けるのか,という実践的なテーマが浮かび上がります。
ということで,ここでご紹介した研究はスタート台に立ったばかりですが,これからご自分の研究を進める皆さんに参考になる点があるとすれば次のような点かもしれません。
その1。セレンディップな気づきを大切にしましょう。初めは何かな,ヘンだな,と気づいたことをじっくり発酵させてください。直観が先で論理の神様は後からやってきます。それはピアジェと共同研究していたバーラインが言う認識論的好奇心(epistemic curiosity)そのものから発酵します。遠い大学院時代の授業でこの概念を学んだことをふわりと思い出します。そんなことだけしていたら食っていけない,というのも事実かもしれません。ならば,目下の必要な教育・研究とは別に発酵させましょう。
その2。新概念を既存領域の諸概念の間で明確に位置づけることも,併行してトライしましょう。統治の不安も業績評価と将来期待に対応する枠組みとして政治不信と合わせて2×2の位置づけを得ました。こうして当該学術領域のメインストリームからもはみ出すことなく,新概念をアピールしましょう。
その3。いかなる研究でも比較の視点は自らを相対化し,鳥瞰化します。いちいち自分が比較研究に関わることは不可能かもしれませんが,いまは比較研究や時系列的に継続された研究が公開データとして多様に存在します。日本学術振興会の人文学・社会科学総合データカタログ[7]からはセレンディップな探索を待っている公開データがたくさん釣れます。新薬が薬効ある成分の探索から始まるのと同じです。新薬の素は専門誌の中にはまず見つかりません。
その4。とんがって,研究しましょう。日本の国政選挙の巨大な選挙研究に加わったのは現熊本県知事の蒲島郁夫先生,学士院会員の三宅一郎先生の論文に文字通り噛みついて,それがご縁で拾っていただいた,という奇縁でした。とんがっていたからこその良縁でした。
文献・注
- 1.池田謙一(編) (2016) 『日本人の考え方 世界の人の考え方:世界価値観調査から見えるもの』勁草書房
- 2.ウクライナの2時点の位置を探してみてください。
- 3.池田謙一 (2019) 『統治の不安と日本政治のリアリティ:政権交代前後の底流と国際比較文脈』木鐸社
- 4.https://yougov.co.uk/covid-19
- 5.Fiorina, M. P. (1981) Retrospective voting in American national elections. New Haven, CO: Yale University Press.
- 6.池田謙一(編) (2007) 政治のリアリティと社会心理:平成小泉政治のダイナミックス,木鐸社,7章.
- 7.https://jdcat.jsps.go.jp/?page=1&size=20&sort=wtl。WVS, ABS, CSESのそれぞれの公開サイトもご覧ください。
- *COI:本記事に関連して開示すべき利益相反はない。