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【小特集】

契約の心理学

日本では2022年4月1日から18歳であっても親の同意なしに契約ができるようになりました。契約は社会を支える重要な仕組みですが,人の心理とあまりに乖離しているとうまく機能しません。この小特集では契約と心理学の関係を考えたいと思います。(荒川 歩)

法的な文章の理解と意思決定─ミランダ警告と権利の放棄の例から考える

大阪河﨑リハビリテーション大学リハビリテーション学部 講師

松尾 加代(まつお かよ)

Profile─松尾 加代
慶應義塾大学大学院社会学研究科心理学専攻後期博士課程満期退学。博士(心理学)。専門は認知心理学,法と心理。共訳書に『その規約,読みますか?:義務的情報開示の失敗』(勁草書房),『行動政策学ハンドブック:応用行動科学による公共政策のデザイン』(福村出版)。

日常にあふれる法や規約

皆さんはアプリをダウンロードする際,プライバシーポリシーや規約に関する文章をすべて読み,納得の上で承認しているでしょうか。最後まで読まないと「承認」ボタンを押せなくなっている場合,一気に最後までスクロールして,読んだふりをしていないでしょうか。社会にはたくさんの法や規約があり,私たちの生活と密接にかかわっています。それらなしには,電車やバスに乗ることも,店で買い物することもできません。たとえば,万引きは犯罪であるという法は理解していても,実際に法や規約を説明する文章は分量が多く,わかりにくく,わかろうという努力をそぎ,努力したところで,わからないことが少なくありません[1]。では,契約を結ぶ際にはどうするでしょうか。「大きな企業がやっていることだから変な契約ではないだろう」「みんながクリックしているから,たぶん大丈夫」と思って,あるいは「承認ボタンを押さないことには,みんなが使っているアプリが使えない」と,安易に契約をしていないでしょうか。

分量が多いことは,その理解に影響を及ぼしかねませんが,そもそも法的な文章自体が難しく,理解が妨げられることが考えられます[1]。法的な文章の理解は,日常生活で起こる事態に関する内容であっても難しいですが,今までに経験したことがないような,非日常的な状況における法的な内容の理解は,さらに困難であることが想像されます。たとえば,自分が事件の被疑者として警察に連行され,取調官から黙秘権について説明を受けた場合,それを理解して,適切に意思決定をすることができるでしょうか。

黙秘権の意思決定

取調官は取り調べを行う前に,被疑者の権利である供述拒否(黙秘)の権利について,被疑者に告知しなければいけません(刑事訴訟法198条)。このような告知を,アメリカではミランダ警告と言います。ミランダ警告では,被疑者には黙秘権があること,供述した内容は法廷で不利な証拠として使用される可能性があること,弁護人の立ち合いを求める権利があることなどが被疑者に伝えられます。被疑者はこれらの説明を受けた後,自分に与えられている権利を行使するか,放棄するかの意思決定をすることになります。

ミランダ警告は,必ず実施されなければならない告知ですが,その文言や伝え方については規定がありません。口頭や書面による説明もあれば,録音テープ・録画による説明もあります[2]。レビュー研究[3]では,ミランダ警告の説明として945パターンが確認されたことが報告されています(未成年者用および成人スペイン語話者用含む)。そして,成人用の警告に含まれる単語数は21単語から408単語(平均96単語)と実に20倍近くの単語数の違いがあったそうです。もっとも一般的な長さとしては,76単語から124単語で,全体の76%を占めていました。同じ内容の説明にこれだけ情報量の違いがあってもよいのか疑問です。しかし不平等な点は情報量だけでなく,内容の読解レベルにもあるようです。一般成人向けに用意されている警告の読解レベルは6年生以下(約20%)から大学教育(約2%)までの範囲があり,もっとも多かったのは6年生から8年生(日本の中学2年生)の読解レベル(約70%)だったということです。実際の読解については,警告全体の半分以下しか理解できなかった被疑者の割合として,6~8年生レベルで5.1%,8~10年生(日本の高校2年生)レベルになると15.8%という結果が示されています。小・中学生の読解レベルであれば比較的簡単なように思いますが,取調室という非日常的な場面であり,かつストレスがかかった状態であることを考えると,理解度が低下してしまっても不思議ではありません[4]

ミランダ警告を受けた被疑者は,その内容を理解している,していないにかかわらず,自分に与えられている権利の行使または放棄についての意思決定をしなければいけません。取調官(612名)に対する調査によると,約81%の人たちが自身の権利を放棄していることが示されました。そして,犯人である被疑者が自分の権利を放棄した割合は73%で,無実の被疑者が放棄した割合は84%という結果が示されました[2]。ほとんどの人たちが自分の持つ権利を放棄し,若干ではあるものの,無実の被疑者の方がその割合が高いという結果が示されました。多くの無実の被疑者は「自分は無実だから,真実を話せば理解してもらえるだろう」と考え,自分の権利を放棄するのかもしれません[5]。しかし,権利を放棄し,ひとたび取り調べが開始すると,多くの場合,被疑者の予想は裏切られることになるようです。すなわち,耐えがたい尋問が延々と続くのです。

そこまで想像できない

被疑者のほとんどの人たちが自分の権利を放棄した[2]ということは,彼らはミランダ警告を理解していなかったということになるのでしょうか。ベン=シャハーとシュナイダー[1]は「ミランダ警告は,自分の権利を放棄した場合にどうなるかを知らなければ無意味である」と述べています。すなわち,ミランダ警告を受ける被疑者は,警告に含まれる文言を理解するだけでは不十分であり,権利を放棄することで起こり得る事態について想定することも必要であるということになります。ミランダ警告の内容を適切に理解するための助けとして,警告についての教育をすべきであるといった意見[3]もありますが,人生で一度経験するか否かといった事態で行使する権利とその内容の理解について,積極的に学ぼうとする市民はどの程度いるでしょうか。

法的な文章は一般的に難しいため,大多数の人は,それらを理解することに対して初めから消極的かもしれません。法的な文章に対する態度が根本的に消極的であるなら,警察の取調室のようなストレスフルな場面で提示される説明を理解し,さらに,権利を放棄した場合に起こり得る事態まで想定できる人は非常に少ないと考えられます。

後悔しない意思決定のために

法は私たちの生活のルールとして存在し,必要に応じてそのルールの説明が提示されます。それらは,多種多様な表現や形態を用いてなされますが,多くの場合,必ずしもわかりやすいものではありません[1]。そして,説明を受けた(または,受けたとみなされた)上での意思決定は,たとえその説明を理解していなくても,法的に有効になることがあります。すなわち,私たちが行う法的な意思決定には,法的な理解の伴わないものが少なからずあるということになります。法が私たちのために存在する[6]のであれば,その説明は私たちにとって理解しやすいものであるべきです。しかし,内容を変えずにわかりやすくするというのは,本当に可能でしょうか。わかりやすさとはなんでしょうか。子供でも知っている日常的な言葉でしょうか。たとえば,統計の授業をしていると「分散」とは何かと聞かれることがあります。これを「散らばり」といったら,わかりやすくなるのでしょうか。重要なのは,「こんな結果になるのだったら,あんな意思決定はしなかった」と,後悔しない意思決定ができることかもしれません。ある人は,その契約に合意することでどういう問題が起こったかの事例を聞いた方がわかりやすいと感じるかもしれません。たとえば,ミランダ警告に際して権利を放棄したばかりに,つらい取り調べを受けることになった,といったように。「わかりやすさ」とは何かをはじめ,契約の領域において心理学が果たすべき貢献はまだまだありそうです。

文献

  • 1.Ben-Shahar, O., & Schneider, C. E. (2014) More than you wanted to know. Princeton University Press. (ベン= シャハー,シュナイダー(2022)その規約,読みますか?.勁草書房)
  • 2.Kassin, S. M. et al. (2007) Law Hum Behav, 31, 381–400.
  • 3.Rogers R. (2008) Am Psychol, 63, 776–787.
  • 4.Scherr, K. C., & Madon, S. (2012) Law Hum Behav, 36, 275–282.
  • 5.Kassin, S. M., & Norwick, R. J. (2004) Law Hum Behavr, 28, 211–221.
  • 6.逸見真(2012)日本航海学雑誌 NAVIGATION, 200,28–33.
  • *COI:本記事に関連して開示すべき利益相反はありません。

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