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【特集】
防災とナッジとその限界
尾崎 拓(おざき たく)
Profile─尾崎 拓
2021年,同志社大学大学院心理学研究科博士(後期)課程修了。博士(心理学)。専門は社会心理学。2021年より現職。
防災の現状
2015年に第3回国連防災世界会議で仙台防災枠組が採択された。これは2030年までに達成するべき災害リスク低減のための地球規模の取り組みであり,東日本大震災の経験と教訓を踏まえて設定されたものである。心理学の研究者として私が着目するのは,防災・減災に及ぼす多様なステークホルダーが主体的に役割をもつことが重視されている点である。仙台防災枠組でも,国が防災についての最も重要な責任を負うとしつつ,多様な立場の個人がそれぞれ防災に参加することが望まれている。このことは,日本では「公助だけでなく自助・共助へ」と表現されることもある。一方で,日本の個人防災は不十分な水準であることも示されている[1]。
緊急時の避難行動における自助の有効性を示すものに,東日本大震災での「釜石の奇跡」がある。片田敏孝研究室(当時群馬大学)が岩手県釜石市で長期にわたって防災教育を実施してきたことにより,津波発生時に小中学生が率先避難し,多くのケースで命を守ることができたものである。
「釜石の奇跡」の心理学的な教訓は,避難の際に自分の命を最優先に考えて行動することが,結果として家族や大事な人を守ることにつながるという信念を共同体が共有できたことである(「津波てんでんこ」)。このことは,緊急時にとるべき行動についての社会規範が形成されたと解釈できる。
防災政策とナッジ
健康リスクや環境リスクなど,広く防護行動に社会規範の影響を取り入れたモデルは,社会心理学ではこれまでも提唱されていた[2, 3]。そして,防災行動に対しても,社会規範を応用しようという取り組みがみられることになった。近年では,大竹ら[4]が,災害時に避難を呼びかけるメッセージとして「まわりの人が避難」しており,「あなたが避難しないと人の命を危険に晒すことになります。」という表現が避難意思の形成に効果的であったことを報告している。私もまた,緊急時の避難ではなく平時の防災行動としての防災用非常食の備蓄行動に対して,社会規範が有効であったことも確かめている[5]。
ハードな制度変更(法律や税制の変更)ではなく,人間の意思決定や行動の特性にはたらきかけるソフトな介入によって,社会をより望ましい方向に変容させようとする仕組みのことをナッジ(nudge)とよび,社会規範を用いたナッジは多くの研究領域(健康・気候変動・防災・防犯など)でその有効性が示されてきている[6]。そのため,諸外国にとどまらず日本でもナッジを政策に取り入れようとする動きが広まっている。
防災ナッジの課題
しかし,ナッジの手法には倫理的な問題がありうる。ナッジの哲学的な基盤は,強制を排して市民の自由な意思決定を尊重するリベラリズムと,望ましい帰結に政府が誘導することを認めるパターナリズムを折衷したところにある。しかし,この折衷は簡単なものではなく,防災におけるナッジの安易な導入に対する課題もまた指摘されている[7]。
さらに,私には社会規範を応用したナッジによって行動変容が生じるとしても,果たしてそれは行動変容を促す側が意図したような帰結につながるのだろうか,という問題意識があった。社会規範を応用したナッジの有効性の限界に着目した一連の研究を実施したので,その結果について報告する。
記述的規範が逆効果になるとき
私が研究で取り上げた社会規範は記述的規範である。チャルディーニ[8]による整理では,社会規範は「多くの他者が実際にそのように振る舞っている」という事実にもとづく記述的規範と,「多くの他者がそのように振る舞うべきだと信じている」ことにもとづく命令的規範に分類できる。本研究では,「実際に多くの他者が防災行動をとっている(あるいはとっていない)」という情報を提示することで記述的規範の影響を検証する研究を行った。
記述的規範を提示し,「多数の他者が望ましい行動をとっているから,あなたもその望ましい行動をとったらどうですか?」と行動変容を促すナッジは,実際に有効に機能することがわかっている。しかし,いくつかのフィールド研究では,記述的規範の提示が望ましい行動をかえって抑制してしまう危険性があることが指摘されていた[9]。
本研究は,実験的手法を用いてその逆効果が生じるメカニズムを検証することを目的とした。私が着目したのは,記述的規範の源である他者の動向の情報は,潜在的に2種類の意味合いに解釈されうることである。「多くの他者が(望ましい)行動をとっている」という情報は,「ある(望ましい)行動をとっていない人が少しはいる」ことを同時に意味する。望ましい行動をとっていない人が存在する,ということは,行動しない理由になりうる。そのため,多数派に従うような行動変容を期待して多数派の動向を提示したとしても,一部の天邪鬼な受け手にとって,それは行動を抑制する情報としてはたらく可能性があると考えられる。
本研究が着目した「天邪鬼さ」をもたらす境界条件は態度であった。情報の受け手が,推奨される防災行動に対して否定的な態度をもっている場合,多数派の動向は行動しない理由として選択的に解釈される危険性をもつと想定される。あるおもちゃを買い与えたくない親が,子どもから「みんなが持っているから買ってくれ」と言われた場合,「みんなって誰!? 全員が持っているわけじゃない」と言い返す場面を想定してほしい。「おもちゃを買う」ことに否定的な態度を持っている親は,子どもが提示した「みんなが持っている」という情報を,「持っていない人も少しはいる」と選択的に解釈したわけである。
実験の概要
本研究は,アメリカ在住の参加者をクラウドソーシングサイトで募集して実施したオンライン実験,日本在住の参加者を調査会社が保有するパネルから募集して実施したオンライン実験,上記と同様の参加者を集めて実施した追試からなる[10, 11]。
いずれの実験でも,従属変数として測定したのはオンライン実験中に防災にまつわるリーフレットを自発的に閲覧するかどうかであり,これを防災に関する行動指標とみなした。また,実験要因として操作したのは記述的規範であり,「同じ実験中に他の多数の参加者が防災リーフレットを閲覧している」という情報を提示する場合を記述的規範あり条件,この情報を提示しない場合を記述的規範なし条件とした。実験で用いた記述的規範を示す画像を図1に示す。防災への態度はリッカート尺度を用いて測定した(防災について「関心がある」「知ることを習慣にしたい」など)。
本研究の仮説は,「記述的規範が行動に及ぼす影響は態度によって調整される」というものであった。この調整効果は,態度が肯定的である場合に記述的規範は行動を促進し,態度が否定的である場合には記述的規範が行動を促進する効果が弱まるという方向性ではたらくと予測した。
実験1(アメリカ)
アメリカ在住の参加者262名をクラウドソーシングサイトで募集して実施した実験1では,仮説は支持されなかった。記述的規範を提示した場合に,提示しなかった場合に比べてリーフレットの閲覧が増えたものの,態度による調整効果はみられず,記述的規範が提示された場合,提示されなかった場合に比べて一貫して行動が促進されていた(図2 A)。
実験2(日本)
実験1と同様の実験を,日本在住者329名を対象として実験を実施した。実験2では,仮説通りの記述的規範と態度の交互作用が観察された。態度は記述的規範の効果に関する境界条件として機能するという知見が得られた。さらに,この交互作用効果について詳しく分析すると,態度は記述的規範の効果を弱めるだけでなく,「天邪鬼さ」を引き起こす可能性があることも示された。図2Bの左端の2本の棒グラフは,最も防災への態度が否定的であった参加者が防災用のリーフレットを閲覧した割合を示している。態度が否定的な参加者に記述的規範を提示した場合は,提示しなかった場合に比べて,リーフレットを閲覧した割合が低くなってしまっている。
態度と記述的規範の交互作用効果について単純傾斜分析を行い,さらに得られたオッズ比をリスク比に変換すると以下のようなことがわかった。態度が平均よりも1標準偏差否定的である参加者に対して記述的規範を提示した場合,リーフレットの閲覧が生じる確率が0.84倍に減ると推定された。一方,態度が1標準偏差肯定的である場合には行動が生じる確率が1.14倍に増えると推定された。
実験3(日本)
実験2と同一のサンプルプールを用い,複数種類の防災行動についてのリーフレットを閲覧するかどうかという文脈で追試を実施した。実験3でも記述的規範と態度の交互作用効果がみられ,ここでも態度が否定的である場合に行動が抑制するという負の効果がみられた。
一連の実験では,アメリカの参加者には「天邪鬼さ」がみられず,日本の参加者には「天邪鬼さ」がみられた。アメリカの参加者は態度に関わらず,素直に多数派に同調し,日本の参加者は多数派の動向に素直には従わず,態度にもとづいて多数派に従うかどうかを決定しているようにみえる。「日本人は同調しやすい」というステレオタイプからみると,この結果はやや意外に思えるかもしれない。本研究では文化の影響を全く想定していなかったため,これらの結果が日本とアメリカの文化の違いを反映したものであるかに言及できない。ただし,ステレオタイプに反して,東アジア人のほうが社会規範に対して複雑な反応を示し,それが東アジア人は社会規範を一度内面化するからだ,という知見が存在する[12]。
ナッジをどう使うか
記述的規範を含む社会規範がさまざまな領域で向社会的な行動を促進するのに有効であることは繰り返し示されてきており,社会科学者の間では,社会規範を解決策として用いることの有望さについての意見の一致がみられている[13]。しかし,社会規範の効果や影響過程はそれほど単純なものではないのかもしれない。社会規範が行動変容を促すという仕組みがかなり複雑な現象なのだとしたら,その帰結を制御することが難しいことを覚悟しなくてはいけないし,結果の予見可能性が低いことも認めるべきだろう。ナッジに社会規範を応用するのであれば,狙った行動をより高い精度で引き起こすことができるような技術の開発を進めるとともに,このような行動変容の技術を社会的に実装することの是非についての社会的な合意形成が必要になると考えられる。
サンスティーンは,ナッジの利用が正当化される4つの基準を整理している[14]。その第一が厚生であり,行動変容の結果がナッジの受け手のためになることが保証されている必要がある。私の一連の研究は,不十分な水準の防災行動を促進することを意図したナッジが,逆に行動を抑制するという帰結に至る可能性を示している。多くの場面でナッジによる行動変容が有効である証拠が蓄積されてきたことで,行政はナッジの活用に前向きな現状にある。しかし,ナッジが受け手の厚生を高めないとしたら,ナッジの導入を拙速に進めることには問題がある。ナッジの有効性や行動変容のプロセスについての十分な知見を積み重ね,ナッジを制御できる技術を開発することを目指して今後も研究に取り組んでいきたい。
- 1.Onuma, H. et al. (2017) Int J Disaster Risk Reduct, 21, 148-158.
- 2.大友章司・広瀬幸雄(2014)心理学研究, 84, 557-565.
- 3.戸塚唯氏・深田博己(2005)実験社会心理学研究, 44, 54-61.
- 4.大竹文雄他(2020)行動経済学, 13, 71-93.
- 5.尾崎拓・中谷内一也(2015)社会心理学研究, 30, 175-182.
- 6.Bergquist et al. (2019) Glob Environ Change, 59, 101941.
- 7.永松伸吾(2020)災害情報, 18, 159-164.
- 8.Cialdini et al. (1990) JPSP, 58, 1015-1026.
- 9.Schultz et al. (2007) Psychol Sci, 18, 429-434.
- 10.Ozaki, T., & Nakayachi, K. (2020) Anal Soc Issues Public Policy, 20, 90-117.
- 11. 尾崎拓・中谷内一也(2021)リスク学研究, 30, 101-110.
- 12.Bagozzi, R. P., & Lee, K.-H. (2002) Soc Psychol Q, 65, 226-247.
- 13.Nyborg, K. et al. (2016) Science, 354, 42-43.
- 14.Sunstein, C. (2016) The ethics of influence. Cambridge University Press.
- *COI:本記事に関連して開示すべき利益相反はない。
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