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【小特集】

障害の社会モデル

障害の「社会モデル」という言葉は,この10年間でずいぶんと広まりつつあります。しかし,その本質についての理解が追いつかないまま,言葉だけが独り歩きしているようにも思います。障害の社会モデルについて見つめなおしたい。その思いから,小特集を企画しました。(橋本博文)

当事者になって障害の社会モデルを知る

勝谷 紀子
東京大学先端科学技術研究センター当事者研究分野 特任助教

勝谷 紀子(かつや のりこ)

Profile─勝谷 紀子
北陸学院大学人間総合学部社会学科教授などを経て2022年より現職。博士(心理学),修士(社会福祉学)。専門は心理学,社会福祉学。著書に『難聴者と中途失聴者の心理学』(共著,かもがわ出版),『心理学からみたうつ病』(分担執筆,朝倉書店)など。

はじめに

筆者は後天的な希少疾患で言葉の聞き取りに困難がある聴覚障害者である。2017年に病名がわかり,翌年身体障害者手帳(4級)を取得した。本誌の連載コーナー「心理学ライフ」に寄稿した際[1],初稿で過去のディスコミュニケーションに触れ「この場を借りて失礼を深くお詫びいたします」「やっと『説明責任』を果たせます」と書こうとした。なぜそのように感じたのか。それを知りたくて,自分を対象にした当事者研究に取り組みはじめ[2],体験を説明する道具として障害の社会モデルを改めて知った。筆者の体験もまじえ当事者の視点から障害の社会モデルについて述べる。

障害の社会モデルとは

障害の社会モデルは,治療や支援の対象として障害者をとらえるのではなく,障害という経験の肯定的側面に焦点を当てて障害の問題を分析・検討する障害学から出されたモデルである[3]。心身の機能障害がある個人の問題として障害をとらえる医学モデルに対し,社会モデルでは社会によって障害がつくられるととらえる。杉野[4]によると,オリバーを提唱者とするイギリス障害学による社会モデルでは,社会制度などの社会的障壁によって起こる社会的不利として障害(ディスアビリティ)をとらえ,個人の属性である心身の機能障害,すなわちインペアメントと区別している。ゾラをはじめとするアメリカ障害学ではインペアメントと環境の相互作用として障害をとらえる[4, 5]。前者では社会構造上の問題を中心に社会的障壁としてとらえ,後者では障害者への偏見や健常者に支配的な価値観など観念的な側面を社会的障壁として問題とする[4]。インペアメントと環境の相互作用を障害ととらえる考えは障害者権利条約[6]でも採用されている。なお,医学モデルと社会モデルの統合をめざす国際生活機能分類(ICF)が世界保健機関(WHO)より出された[7]

家で一人パソコンに向かってネットでやりとりしている限りは障害者だと感じないが,騒がしい環境ではとたんにコミュニケーションが難しくなり障害者となる。難聴を「誰にも知られてはいけない秘密」と長年隠し続け,「『普通の人』を演じる」方略をとり続けてきた。自分自身も「コミュニケーションは音声でスムーズに取るのが普通」「難聴は高齢者がなるもの」という価値観や偏見に染まっていたと気づかされた。

日本では障害学会が2003年に設立されて以来,社会学や法律学などさまざまな分野から学際的に障害の問題や障害の社会モデルについて検討がなされてきた[5, 8, 9]

障害は障害者本人の内部にあるインペアメントではなく,社会によって構築されているという考え方は,パラリンピックの報道などとともにマスメディアでも紹介されるようになり,社会モデルの考え方を解説する一般向けの書籍も出されている[5, 8, 9]

障害を社会モデルでとらえる意義と問題

障害を障害者個人のインペアメント(障害の医学モデル)でなく,社会とのかかわりの中でとらえるという考え方から,さまざまな知見が生み出された[4, 5]。インペアメントによってさまざまな失敗経験,社会的不利を経験すると,その責任の所在を自分の努力不足,能力不足など自分に過度に帰属してしまいやすく,対処の責任も感じがちである。筆者もディスコミュニケーションや就職活動での失敗を重ねる中で健常者以上に努力をしなくてはと自分を追い込み,人に相談せず,自分で対処せねばと抱え込んだ。社会モデルという新たな「考えの枠組み」を得て,必ずしも自分だけのせいではないと社会的障壁に対する自分の捉え方が変わっていった。それとともに,「社会」についての捉え方も変わり,自分が生きる社会は「健常者」というマジョリティにとって当たり前でうまくいくようつくられた社会なのだ,と気づかされたのだった[8, 9]

一方,障害の社会モデルにたいして,誤った理解や偏った理解があるという指摘がなされている[5, 8]。具体的には,社会モデルにおける社会とは何かという問題である。「社会」の捉え方が身近な範囲を想定した狭いものであるなど捉え方に偏りがあるという指摘[8],社会モデルが医療やリハビリテーションを否定しているという誤解[5]などが指摘されている。また,社会的障壁というと車いす利用者における階段,視覚障害者にとっての道路の段差,といった物理的障壁はわかりやすく注目されやすいが,ルールや慣習,常識といった社会的障壁は意識されづらい[8]。筆者もルールや慣習は変えられないものという認識を知らず知らずのうちにもっており,身体障害者手帳を取ってからも聴覚障害者にとって参加しづらさにつながるルールや慣習に対して変えるよう働きかける意識をもちづらかった。

障害の社会モデルを活用する

障害の社会モデルの考え方がどのように実際に生かされたのか。筆者は障害者と(法律的に)認定されるまでに長い時間がかかり,言葉が聞き取りにくくて生活がしづらいと思っていても合理的配慮[10]とは無縁だった。合理的配慮という言葉は知っていても自分には関わりのない世界の代物だった。障害者となってから合理的配慮は自分ごとだと認識が変わり,職場やイベント,学会などで合理的配慮の申し出や相談をおこなうようになった。学会では,文字通訳のサポートを得て口頭発表をおこなうことができた。障害の社会モデルを知る前は学会では独力で口頭のみで説明や質疑をおこなうのが当然で,それができないのは自分自身に問題の所在と責任があると考えていた。サポートを求めるというかたちで社会へ働きかける意識はまったくなかった。ルールや慣習といった物理的障壁以外の社会的障壁への気づきと調整に意識が向いたのだった。

障害の社会モデルのこれから

障害の所在を障害者自身のインペアメントでとらえる医学モデル的な考え方は過去のものと考えられているが,現在でも身体障害者手帳など手帳の取得には医学的判断が関わる。法律的に障害者と認められるかどうかは医学的判断が考慮される現状がある。難聴の程度が軽くて身体障害者手帳がなかったころ,補聴器が全額自費となり,要約筆記者派遣を断られ,社会福祉的支援も得られなかった。

国連の「障害者の権利に関する委員会」から,日本政府の報告に関する総括所見が2022年9月に出された[11]。障害者権利条約[6]にもとづく数多くの勧告の中には,障害認定や手帳制度を含め障害の医学モデルの要素を排除することや,全ての障害者が機能障害にかかわらず社会に参加する機会が得られるような法規制の見直しも含まれている。当事者になって障害の社会モデルを改めて知り,「社会」とは社会制度だけでなく,偏見や価値観,対人関係,自分自身に取り込んだ常識など,多様だと気づいた。障害の発生メカニズム,解消手段,解消の責任のそれぞれで社会性を考慮して論じる重要性も指摘されている[8]。障害の社会モデルという考え方の理解が進み,障害による困難の解消のあり方も「社会」との関わりを見据えた方向に変わることが期待される。

結局,前回執筆した「心理学ライフ」では「この場を借りてやっと事情説明できます」とだけ書いた。お詫びの気持ちや説明責任を感じさせた社会とは何か。それを明らかにして当事者の立場で変えていきたい。

  • 1.勝谷紀子(2021)心理学ワールド, 95, 40.https://psych.or.jp/publication/world095/pw18/
  • 2.勝谷紀子(2022)学術の動向, 27(10), 15-18.
  • 3.石川准・長瀬修(編著)(1999)障害学への招待.明石書店
  • 4.杉野昭博(2007)障害学.東京大学出版会
  • 5.川越敏司他(編著)(2013)障害学のリハビリテーション.生活書院
  • 6.外務省 https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinken/index_shogaisha.html
  • 7.世界保健機関(2002)国際生活機能分類.中央法規出版
  • 8.飯野由里子他(2022)「社会」を扱う新たなモード.生活書
  • 9.綾屋紗月(編著)(2018)ソーシャル・マジョリティ研究.金子書房
  • 10.川島聡他(2016)合理的配慮.有斐閣
  • 11.外務省https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/100448721.pdf
  • *COI:本稿に関連して開示すべき利益相反はない。

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