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年をとる喜びはどうすれば感じられますか?

日下 菜穂子
同志社女子大学現代社会学部 教授

日下 菜穂子(くさか なほこ)

Profile─日下 菜穂子
博士(教育心理学)。専門は老年心理学。単著に『ワンダフル・エイジング:人生後半を豊かに生きるポジティブ心理学』(ナカニシヤ出版),『シェアダイニング:食とテクノロジーで創るワンダフル・エイジングの世界』(クリエイツかもがわ)。

喜びにあふれた年のとり方をワンダフルエイジングとよんで,老年心理学や教育工学,精神医学,情報工学の研究者との共同で,長寿の価値創造の研究をしています。よく生きることをあきらめずに目標に向けて生きていると,逆境で思いがけない力が発揮されたり,予想外の展開が広がることがあります。ワンダフルは,新しい世界との遭遇にワクワクドキドキする心の状態をあらわす言葉です。この感動には意欲が影響します。意欲的になれる環境にいると,人は強みを発揮し自ら行動を起こす主体になるからです。やがて感動は周囲に広がって,人生を豊かにする前向きな関わり合いの循環が生まれます。こうした「関わり合いの中で逆境に意味を見出し,生きる喜びを高めあう生き方」をワンダフルエイジングとしています[1]

人が主体的に活動に関わり,自分のふるまいを調整しながら人生目標を追求する過程は,学びの分野での自己調整学習と重ねられます。学習を進めるうえで,自ら学ぶ意欲を高め,目標達成への効力感を持つことは大切です。「拡張的知能観(growth mindset)」で著名なドゥエックは,意欲や効力感が個人の持っている特性ではなく,その人の考え方や姿勢によるものだと述べています[2]。自分の可能性への見方を変えることで,無力感に直面した人も自信を取り戻すことができるとドゥエックはいいます。加齢のリスクが強調される現代社会では,老いた人が無力感を抱きがちで,これから年をとる若い世代にも老いへの不安が広がっています。こうした現状に対して拡張的知能観が示すのは,高齢者とすべての世代の人が老いの未来の可能性を信じられれば,生き方をより前向きに変えられるという考え方です。

この考え方を生きる喜びの拡張に役立てようと,シェアダイニングというプロジェクトで食の場の社会実験を進めています[3]。シェアダイニングは,食品販売店や職場などの対面の空間や,自宅の台所と公共施設を接続するオンライン空間などにおいて,調理と食事を複数人で共にする食の場です。プロジェクトの課題は,どのようなプロセスが人をより自己調整的にするのか,そうしたプロセスにすべての人が主体的に参加する環境はどうすれば実現できるのかを明らかにすることです。プロジェクトを通して私たちが得たのは,「自己利益の獲得(GET)を目標にするのではなく,集団で共有する価値への貢献(GIVE)に注意を向けると,どんな時にも人生の主体的なつくり手になれる」という希望でした。病や死など自己の限界に直面しても,共通の価値に向けて人やモノ,サービスなどが結びつくことで,人と人,人とモノゴトの間に解決を導く創造の力が発揮されます。自己効力感を提唱したバンデューラらは,この力を集合的な効力感といい激動社会への適応の鍵だとしています[4]

これまでの老いの適応に関する人文科学系の研究では,社会的状況と心の働きや状態との関係性があまり注目されない傾向がありました。しかし,最近ではこの視点の重要性も認識されています。人生をより良くするためには,社会文化的な文脈で生じる多様で複雑な現象を考慮する必要があります。標準に照らした画一的な「モノサシ」による目標設定だけでは,個人の自律性や多様性が損なわれる恐れがあります。その代わりに,個々人の目標追求を尊重しながらも,共通の方向性を示す「価値」に意識を向けることで,個人と集団のバランスを取ることが大切になります。単純に個人の特性や能力を強化するだけでなく,個人の目標追求を包含して集団全体に共通する価値に向かう意識が必要です。このような環境を整えることで,創造性を発揮する関係性がいきいきとして,人が健康的になれるといえます。価値へのパラダイムシフトは,加齢に関わる心理学の研究において,包括的で網羅的な視点を提供するとともに,より効果的なサービスや支援の方法が開発され人や社会のよりよい生き方の実現に寄与することが期待されます。

シェアダイニングは,目標から価値へのパラダイムシフトを心理学の知見と現代のテクノロジーを融合して,アートと科学の力で実現する最先端の試みです。シェアダイニングの特徴は,単に食べて交流するだけの物理的な過程ではなく,喜びを知覚する体験としての身体感覚を重視する点です。居場所を選べる多角形のテーブルや乾杯して情報交換できるカップインターフェイス[3]など,「空間・活動・道具のデザインによる最適化」で人々の参加意欲を高め,場の「計測・フィードバックによる最適化」を通して諸感覚を働かせる環境設定を組み込みます(図1)。こうした環境下で,関係性が活性化して場の喜びを高め合う楽しさを感じられたら,大抵はこの場にまた戻って来たいと思います。そして何度も成功した実践が繰り返し行われると,アイデンティティの一部をなすようなつながりを認識する実践コミュニティが築かれるといわれます[5]

図1 シェアダイニングの共感創出システム
図1 シェアダイニングの共感創出システム

「年をとる喜びを感じるには」への答えは,私たちの間に潜在しています。喜びにあふれた場で観察するからこそ,豊かな生き方の鍵となる知恵を導くことができるといえます。老いの不安を喜びにするシェアダイニングに,つくり手となって参加する人の輪が広がることが願われます。

文献

  • 1.日下菜穂子(2021)ワンダフル・エイジング.ナカニシヤ出版
  • 2.Dweck, C. S. (2006) Mindset. Random House Publishing Group.
  • 3.日下菜穂子(2023)シェアダイニング.クリエイツかもがわ
  • 4.バンデューラ, A./本明寛・野口京子(監訳)(1997)激動社会の中の自己効力.金子書房
  • 5.レイヴ, J.・ウェンガー, E. (1993) 状況に埋め込まれた学習(佐伯胖訳).産業図書(Lave, J., & Wenger, E. (1991) Situated learning. Cambridge University Press)
  • *シェアダイニングのプロジェクトは,JST未来社会創造事業(JPMJM-18D6, JPMJM-20D9)の助成を受けました。本稿に関して,開示すべき利益相反関連事項(Conflict of Interest: COI)はありません。

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