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心理学ライフ

ピンポン教授と私

杉森 伸吉
東京学芸大学教育学部 教授/東京学芸大学附属大泉小学校 校長

杉森 伸吉(すぎもり しんきち)

Profile─杉森 伸吉
専門は個人−集団関係の文化社会心理学。博士(教育学)。研究テーマは,いじめと学級集団,体験活動や学校行事の心理学,リスク心理学など。著書に『コアカリキュラムで学ぶ教育心理学』(共編,培風館)など。

本誌編集委員のY氏は学部生の頃,私のゼミ生でした。ブログが流行りだした頃に,研究室の人間模様を面白おかしく描いたブログを作り,それがアクセス数トップになるくらい人気が出て,ある日とても嬉しそうに,「先生,研究室のことをブログに書いたら,すごく人気が出ているんですよ。でも,ディープなところに置いてあるので,絶対見つけられないと思いますよ~」というので検索したら,3分ほどで見つけてしまいました。研究室の人には見られないという安心感のもとに,いろんなことを書いていたのでしょう。私が見つけたときのうろたえた姿は,今でも目に浮かびます。

そのブログには,心理学の造詣は深いのに,研究指導を頼んでも,やたら一緒に卓球をやりたがる「ピンポン教授」というキャラクターがいて,ブログの固定客たちから,なぜかけっこう人気を集めていました。読者諸賢はお察しでしょうが,恥ずかしながら,ピンポン教授のモデルは私です(私と彼の名誉のために言うと,彼の卒論は講座で最優秀賞をとり『心理学研究』誌にも掲載されました)。

初めて私が卓球をしたのは小4でした。旅先の民宿の台で,スマッシュの打ち方だけ教わったら宿泊客の大学生にも勝てたのに味をしめ,地元住民の大人のクラブに入ったのです。

ところで,日本のトップ選手になるなら,幼少期から卓球を始めるのが今でこそ当たり前ですが,福原愛(ふくはらあい)さんより前までは,卓球を始めるのは中学校の部活が大多数でした。短期間で選手を育成するために日本の卓球界がとったのが戦型教育でした。ここに日本文化の画一性の特徴が表れています。中学の部活指導者が,粘り強そうな子は,何本打たれてもカットで返球するカットマンに育て,反射神経がよさそうな子は前陣速攻に,フットワークがよくアグレッシブな子はドライブマンに,などです。ところがその結果,世界選手権などの国際大会で上位に入る選手が減少していきました。当時の外国選手は,「日本人は戦術も画一的なので,勝ち方を覚えれば誰にでも勝て,日本人に当たるとラッキー」とまで言っていました。中国は百花斉放という個性重視で,多様な選手が育ちました。その後,日本は育成方法を変え,国内育成のみならず,有望選手は中高生から国外有力コーチの下に留学させるなどして成果を上げ,水谷準(みずたにじゅん)さんなどが育ちました。

ところで日本にも卓球王国時代がありました。卓球は1800年代後半に会食後コルクボールを食卓で,羊の革を張ったテニス型ラケットで打ち合ったイギリスが発祥地です。1898年にセルロイドボールとなり,ゲーム性と人気が飛躍的に高まり,第1回世界選手権が1932年にヨーロッパで開催されました。遅れること20年,日本は1952年に世界選手権に初出場,7種目中4種目でいきなり優勝しました。以来,1970年代までは金メダルを量産する卓球王国だったのです。最後のチャンピオンは1979年の小野誠治(おのせいじ)さんです。

当時のエースの一人であった山中教子(たなかのりこ)さんは,フォアはスマッシュ,バックは高速プッシュの超攻撃型卓球で,団体戦,ダブルス,ミックスダブルスで世界一,個人戦で世界3位になったレジェンドです。卓球を国技にし,中国人の国家意識の醸成・高揚をねらった周恩来(しゅうおんらい)総理の依頼で文化大革命時代の中国全土でコーチングし,2000年には卓球を3つの要素から紐解くARP理論を発表。これは世界初の卓球の身体運動理論で,卓球を通じ人間の本来的在り方を示すものです。ARPは軸(axis),リズム(rhythm),姿勢(posture)のことです。自分のリズムを相手やボールのリズムに調和させ,体軸の移動や姿勢を有効に使い,自分軸を持ち,できるだけ広い空間を意識し,全身を使い,無駄なく,無理なく,効果的に,そして結果的に美しく打つことを目指します。ARP理論の発表当時から20年以上,私も山中先生に師事しています。

最後に最近のピンポン教授です。ゼミ合宿の卓球と温泉は必須,卓球交流で不登校学生が復帰したり,附属小の校長業務でも不登校児の復帰やトラブル解決など,振り返ると卓球のお陰でいささかの問題解決もでき,その奥深さを感じる日々です。

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