私の出前授業
科学としての心理学を伝えるために
荒木友希子(あらき ゆきこ)
Profile─荒木友希子
金沢大学大学院社会環境科学研究科博士課程修了。博士(文学)。臨床心理士。金沢大学助手,助教を経て,2009年より現職。大阪大学・金沢大学・浜松医科大学・千葉大学・福井大学連合小児発達学研究科併任。専門は臨床心理学,健康心理学,ポジティブ心理学。著書は『健康心理学・臨床心理学へのアプローチ(自己心理学3)』(分担執筆,金子書房),『心・理・学:基礎の学習と研究への展開』(分担執筆,ナカニシヤ出版),『無気力な青少年の心:無力感の心理 : 発達臨床心理学的考察』(分担執筆,北大路出版)など。
私のような無名の心理学者でも,大学教員という立場から,心理学に関心のある高校生や一般の方々を対象に心理学についてお話をする機会が多々あります。ある時は日本心理学会主催の「高校生のための心理学講座」で「臨床心理学」について,またある時は高校へ出向いて行う出前講座で「大学で学ぶ心理学」について説明します。その他にも,一般の方や対人援助職の方を対象とした研修会で「ポジティブ心理学」についてお話しすることもあります。
どんなときでも,共通していることが三つあります。一つ目は,とにかく時間が圧倒的に足りないことです。数十分で「心理学」や「臨床心理学」のすべてを話せるわけがなく,かいつまんでエッセンスを伝えようとしても,やっぱり時間が足りません。あれもこれも知って欲しいという思いばかりが強く,まったく学習できないことを毎回反省します。
二つ目は,一般の方々が持つ心理学に対する誤解や先入観,イメージを変えることを講座の目的のひとつとすることです。心理学といえば,カウンセリングや深層心理テストといったイメージに偏ることが多いです。いくつかの例を挙げながら,こういったイメージを覆すのに多大なエネルギーを注ぎます。講座の感想で「これまで持っていた心理学に対するイメージが変わりました。」といった自由記述を見つけると,心の中でガッツポーズをします。
三つ目は,心理学は読心術ではなく,心の働きについて考える実証科学であることを正確に伝えることです。心理学を学ぶことによって人の行動や考え方の共通性や差異について理解が深まることを理解してもらうために,あの手この手を尽くします。
金沢大学での「高校生のための心理学講座」
金沢大学では,2013年から毎年,「高校生のための心理学講座」中部Ⅱ地区を担当しています。2015年以降,講師は金沢大学で心理学教育に携わる5名の教員が担当しています。この講座の参加者は,富山,福井,石川の北陸三県にわたり,男子よりも女子が多い傾向があります。また,保護者の方も毎年数名参加され,積極的に質問をされることもあります。
毎年,講座の感想で特に多いのが,「動物を使った心理学実験に興味を持ちました。」といった学習・比較心理学への感想です。谷内通先生は講義の中で,マウス,ラット,ブタ,キンギョ,イモリ,リクガメの条件づけについて,写真や映像を駆使して分かりやすく説明されます。このとき,神妙な面持ちで静かに座っている高校生たちの心の中はきっとたくさんの驚きでいっぱいなんだろうなあ,今まさに心理学に対するイメージがガラガラと崩れているんだろうなあ,と想像しながら私は毎年受付の席でほくそ笑んでいます。
この講座では,トップバッターの小島治幸先生がご自身の専門である認知・神経心理学に言及する前に,かなりの時間を割いて「心理学とは何か」について説明されます。心理学の語源と歴史,心理学のさまざまな分野や研究方法についても説明されます。岡田努先生は若者の心と対人関係というテーマで行われている人格心理学の調査研究について,浅川淳司先生は乳幼児期の心の発達をとらえる発達心理学の実証的な研究について,それぞれ説明されます。この流れに沿って,私が担当する臨床心理学の講義では,他の講義で取り上げられた心理学と同じく,臨床心理学も実証的な科学であることを強調するようにしています。私が金沢大学の学部生時代に臨床心理学を教わった田中富士夫先生によると,「臨床心理学」とは以下のように定義されます。心理的に不健康な面,すなわち,問題行動をもつクライエントを,より健康な方向に導くために,心理学並びに関連諸科学の知見と方法を用いて専門的援助を行う,応用心理学の一分野である(田中,1988)。
この定義は,臨床心理学における支援の対象者や,目的,方法,心理学における位置づけなど,重要な概念が凝縮されています。この文章を分割し,各用語を解説することによって,臨床心理学とはどんな学問なのか説明していきます。たとえば,冒頭の「心理的に不健康な面」という箇所では,何が健康で何が不健康なのか,正常と異常の境界はどのように設定するのか,といった大きな問いを聴講生に投げかけます。また,講義の後半では実習として,コミュニケーションスキルの習得をめざしたマイクロカウンセリングのロールプレイを行ったり,リラクセーションスキルの習得をめざした筋弛緩訓練の一部を体験したりする時間を設けます。
高校で行う出前講座「大学で学ぶ心理学」
「高校生のための心理学講座」で「臨床心理学」を担当する場合とは異なり,私ひとりで高校へ出向いて「大学で学ぶ心理学」について説明する場合は,心理学は科学であることを理解し,心理学研究の具体的な手法を知ってもらうことに重きを置きます。まず授業の冒頭で,「心理学についてどのくらい知っていますかクイズ」と称して,以下の6問を提示し,○×で回答してもらいます。中には△のようなグレーゾーンの問いもありますが,「実はすべて×です」と伝えると,高校生たちは「えー!」と驚きの声をあげます。その様子を見て私は内心喜びつつ,各問いについて解説していく形で,「大学で学ぶ心理学」について説明していきます。
1.心理学は精神医学の一部である
2.心理学の先生はカウンセラーである
3.心理学は理科系である
4.心理学を学ぶと人の心が読み取れる
5.心理学の歴史は2000年と古い
6.心霊現象は心理学のテーマである
ただし,科学,エビデンス,客観性,といった言葉を授業で再三繰り返していると,「いやいや,それだけではないでしょうが」という言葉が私の心の中で聞こえてきます。人の心は科学では説明できない部分もあります。特に臨床の現場では,サイエンス(客観性)とアート(直感や主観性)の両方が同時に求められます。また,心の問題を扱うとき,心理学だけでは不十分で,最先端の脳科学はもちろんのこと,伝統的な哲学や倫理学,宗教学,歴史学,比較文化学,生物学などさまざまな学問が必要となる場合もあります。科学としての心理学を誇張するあまり,このようなことが看過されるジレンマを感じるのも事実です。しかし,心理学は読心術であるといった一般的なイメージを覆すためには,やはり科学としての心理学の在り方を正しく伝えることが使命であると考え,私は出前講座に取り組んでいます。
文献
- 田中富士夫(1988)『臨床心理学概説』北樹出版
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