この人をたずねて
白井 述 氏(しらい のぶ)
Profile─白井 述 氏
2007年,中央大学大学院文学研究科博士後期課程心理学専攻修了。博士(心理学)。ロンドン大学ユニバーシティカレッジ客員研究員,日本学術振興会特別研究員SPDなどを経て,2009年より現職。専門は知覚発達,認知発達。著書は『基礎実験心理学法ハンドブック』(分担執筆,朝倉書店)など。
白井先生へのインタビュー
─現在の研究についてお聞かせください。
赤ちゃんの知覚発達,特に動いている視覚刺激に対して赤ちゃんがどう反応するのか,という運動視の研究をしてきました。10年ほど前に新潟大学に就職して発達の研究室を立ち上げてからは,赤ちゃんの他に,幼児や小学生くらいのお子さんの知覚・認知発達の研究もしています。最近ではAR(Augmented Reality,拡張現実)を使った発達研究もしています。ずいぶん変わったことをやり始めたね,と言われることもあるのですが,自分のなかでは一貫しているつもりです。
ある意味,運動視やそれと関連した空間知覚の研究の延長で,現実の空間に人工情報が混ざった時に,子どもがそれをどう認識し,行動するのかを知りたいと思い,ARの研究を始めました。まあ,自分がゲームが好きだから,というのもありますが(笑)。
─ご自身の研究テーマに至ったきっかけを教えてください。
中央大学の山口真美先生が知覚発達研究室を立ち上げるタイミングに,学生として立ち会った,というのが大きなきっかけです。また,どのような情報処理の結果,私たちが今見たり感じたりしている世界があるのか,そうした仕組みがどのようにしてできるのか,というのが気になったんですね。そういう経緯で知覚発達に興味を持ちました。運動視については,同じ刺激に対して解釈次第では,環境の動きにも自分の動きにもなりますし,動物全般にとって基本的で重要な知覚というのもあって,いろいろ考える切り口として良いのではないかと思って始めました。
その後,就職した頃,当時の赤ちゃん研究者は,「こんなに小さい子でも○○ができる!」という華々しい報告を競っているようなところがあったと思うのですが,その一方で,幼児期以降の知覚発達はあまり顧みられていないように思ったんですね。実際,幼児期以降に知覚がどう成熟していくのかを定量的に調べた研究はかなり少ないんです。でも,運動視一つ取ってみても,高校生くらいまでいろいろ変わるんですよ。なので,知覚のような基礎的な能力がどう成熟していくのかを調べるのも大事なのではと思い,現在は幼児や小学生を対象にした研究も行っています。
─今までで一番思い入れのあるご研究は何ですか。
身体運動発達と視覚発達の関連を調べた研究ですかね。ハイハイの発達に先立って拡大・縮小のオプティックフロー(身体が前後に動いたときに視野に生じる視覚的な動きのパターン)への選好が変わるということを見つけました。
伝統的な発達心理学の考え方は,身体を動かす能力が先行して,その後,視覚が変化していくという感じだと思うのですが,その逆の発達パターンもあるという研究です。もともと修士の頃から拡大・縮小フローの研究をしていたのですが,1,2ヵ月児でも拡大フローに対して回避的な動作をするという古典的な研究がたくさんあって,業界的には「今さらオプティックフローの発達研究?」という雰囲気があったんです。でもしつこく実験をやっていくと,どうやっても生後3ヵ月頃にオプティックフローに対する知覚が大きく変わって,その後発達が停滞する時期があることがわかりました。それがどうしても不思議で,就職してから縦断研究で発達を調べ直したところ,ハイハイができるようになる1ヵ月前から,前進と関連の深い拡大のフローに対する選好は変わらないのに,後退と関連する縮小のフローに対する選好が下がるという,予想と完全に違う結果がでました。
ハイハイできるかできないかの赤ちゃんは,もぞもぞっと動いて後ろに行ってしまうことがあります。後ろに下がると縮小のフローが起こるはずですが,そこで縮小のフローに対する視覚選好を相対的に下げるような動機づけ・メカニズムがあれば,縮小のフローが起こったときに直前の身体運動が強化されない。逆に拡大に対する選好が相対的に高く維持されていれば,動いたときに拡大のフローを強化子にして前方向への身体運動が強化されやすくなる。こういうことを繰り返して,ハイハイなどの移動行動の発達が促進されるのかもしれません。これは,面白い結果だと思いましたし,自分が10年越しで調べてきたことの一つの到達点というか,マイルストーンとなるような研究でした。
─研究するうえで気をつけていることは何ですか。
研究がなんとなくルーチーンになってきたらワークライフバランスを見直すようにしています。研究を「しなければいけないこと」と思わないように,自分の生活をプロデュースすることは,研究者にとって実は大事かもしれないですね。やれる研究とやりたい研究が乖離してしまうとおそらく不幸せだと思うので,その差分が小さい研究者でありたいです。
あとは,知覚・認知発達のラボは日本にそれほど多くないので,共同研究は積極的にやるというのは意図的にしています。研究も一極集中するのではなく,多様性があったほうが良いと思っているので,発達研究のすそ野を広げるという意味でも,自分が地道にでも発達のラボを回していることに意味はあるのかな,と思いながら研究しています。
─最後に,若手に対するメッセージをお願いします。
今の若い人たちは優秀なのであまり言うことはないのですが……。世代とか関係なく,僕たちと対等に接してくれるとありがたいなと思います。その上で,若手に還元したりアドバイスしたりする,というのは上の世代の義務みたいなものですし,自分もそうしてもらってきたので,僕たちをうまく利用してもらえればと。
あとは,もちろんいろいろなやり方があっていいとは思いますが,僕はどちらかというと,最先端の華々しい研究をいろいろやるというよりは,地味でニッチなところを研究しているうちに,いろいろな疑問がわいてきて深堀りするようなやり方でやってきました。同じようなテーマの研究でも,それぞれが思いもよらない仕方でつながる瞬間があって,なにか新しいものが見つかることもあるように思います。そういうやり方も楽しいですよ,と伝えたいですね。あとは,発達の共同研究に興味があればぜひご一報ください!
インタビュアーの自己紹介
インタビューを終えて
白井先生とは面識はありましたが,ご研究の内容を詳しくお話しいただいたのは初めてだったので,インタビューという慣れない場に緊張しつつも,楽しみながら話を伺うことができました。インタビュー中は,一言一言,言葉を選びながら真摯に向き合ってくださるのが印象的でした。決して威圧的に主張するのではないその口調に,丁寧に研究を進めておられる研究者としてのお人柄が表れていると感じました。
なかでも,研究当初はあまり顧みられていなかった幼児期の身体運動発達と視覚発達の関連を長年調べた結果,予測と真逆の結果が得られたというお話に刺激を受け,そういう研究が自分もできればと思いました。また,誌面の都合上,ARのご研究については詳しく書けませんでしたが,非常に興味深いものでした。このような機会を頂いたことに心よりお礼申し上げます。
現在の研究テーマ
学部生のころからヒト以外の霊長類を対象に乳児の視覚特徴に対する認知を調べています。今までヒトを対象にした多くの先行研究が,大きな目や小さな鼻や口など,ベビースキーマと呼ばれる特徴は「かわいい」と感じられ,養育行動を誘因していることを明らかにしてきました。
それではヒト以外の霊長類種も,そういった特徴に選好を示すのでしょうか。養育行動はもちろんヒト以外の霊長類でも見られるにもかかわらず,彼らがどのように乳児を認知しているのかについてはほとんどわかっていませんでした。アイトラッキングを用いた私たちの研究では,チンパンジーは乳児に対する視覚的選好を示すのに対して近縁種のボノボはそうではないことを明らかにし,乳児への視覚的選好にも種差があることを示しました。
今後,共同保育を行うマーモセットや母子だけで生活するオランウータン,乳児の体毛がおとなと全く異なるルトンなど,様々な社会システムや乳児特徴を持つ種を対象に研究を進めていくことで,乳児特徴とその認知が霊長類でどう進化してきたのかを明らかにしたいと考えています。
Profile─かわぐち ゆり
京都大学霊長類研究所博士課程に在学中。日本学術振興会特別研究員DC1。専門は比較認知科学。論文は「Chimpanzees, but not bonobos, attend more to infant than adult conspecifics」(共著,Animal Behaviour)など。
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